踏文

作文の練習

0人いる!

「ダンジョンマスター」というコンピュータゲームがある。……といっても、余所見の如きハイソサエティなウェブマガジンの読者諸賢に、コンピュータゲームなんて俗悪なものに興じる人はいないと思うけれど、ましてや一昔前の海外製リアルタイム3DダンジョンRPGで遊ぶ人はいないと思うけれど。今ここでゲームの話を書きたいわけじゃない。所謂ゲーム・レビューなどではない。或る、お伝えしたいことのために、このゲームの話を通過しなくちゃならない。それも、ちょっと微妙な道を通るため、軽く概要だけで済ませることもできない。

「ダンジョンマスター」というコンピューターゲームがある。もちろん、僕も遊んだことあるが、詳しくはない。プレイヤーは、4人のキャラクターを編成して、迷宮(ダンジョン)に潜り込み、罠や怪物の襲撃など各種の困難を乗り越えて、諸悪の根源的な要人を倒す。こんなゲームだったと思う。迷宮に罠や怪物、ってんだから、現代日本のお話でなく、西洋中世風ファンタジーの世界。

プレイヤーが操作する「4人のキャラクター」は、予め用意された総勢24人の中から選択する。それぞれ、力が強いとか、器用だとか、個性があり、それを考慮しつつ、または趣味に応じて、自由に選択できる。そんな流れは、この手のゲームでは珍しくない。

この「キャラクターを選ぶ」は、ボードゲームでコマの色を選ぶみたいに、単に事務的に選ぶってのもあるけれど、古くは「ウィザードリィ」、メジャーなところでは「ドラゴンクエスト3」では、「酒場でたむろしている連中から仲間を募る」という体裁をとる。ファンタジーな世界において酒場は、百戦錬磨のフリーランスな人がたむろしているのが相場となっており、物語にかなっている。

で、この「ダンジョンマスター」には、もう少し「キャラクターを選ぶ」のに物語がある。実は、ゲームが(物語が)始まる前、既にこの24人は決死隊として潜っており、返り討ちにあっている。黒幕は、見せしめに、魔法の力か何かで、鏡みたいなのに彼ら閉じ込めて「牢獄」に入れてしまった。「牢獄」には、まるで美術館のように、人が封じ込められた鏡が壁面に飾られている(怖いね)。それから色々あって、再挑戦するために、この「鏡」から4人を選んで助け出す(=ゲームに使用するキャラクターを選ぶ)という体裁になっている。

この「ダンジョンマスター」ゲーム画面はひたすらダンジョンの中なんだけど、このキャラクターを選ぶ「牢獄」もまた、ダンジョンなので、

「キャラクターを選ぶ前、つまりゲームが始まる前から、キャラクターが誰も居ない状態から、ゲーム本編と同様のインターフェイスで操作する」

長くなりましたが、今回この記事で書きたかったことはこれ。

一人目のキャラクターを選ぶと、今度はそのキャラクターが「牢獄」を歩くことになります。で、その一人目が次の二人目を選び助け出す。同じ感じで、三人目、四人目と選び、「牢獄」を抜け出せば本編の迷宮が始まります。

このゲーム、一種のギャグか、間違って壁のある方向に進もうとすると「オフッ!」って呻き声とともに、ごくごく軽傷を負います。壁に頭でもぶつけたんですな。

しかし、キャラクターを選ぶ「牢獄」。一人目のキャラクターが二人目のキャラクターを求めて彷徨う時、勿論壁にぶつかって軽傷を負うこともあるんですが、肝心要「一人目」を選ぶ前、彷徨う「主体」は、まだいないのでそういったことはありません。

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※ 「0人目」が一人目のキャラクターを求めて彷徨う図

ゲーム開始直後から一人目を選ぶその瞬間、短い間ですが、「0人目」なのに, プレイヤーが操作する「主体」がある、という不思議な状態。この、「ダンジョンマスター」抜きには理解し辛いこの感覚。これが、ごくたまに、日常の何かで連想したり、或いは役に立ったりもします。

例えば、誰にも行き先を告げず一人散歩していると、こんな感覚に陥ることがあります。道行く人にぶつかったりしなければ、自分は今、周囲から存在しないも同じ。夢中で前を向いて歩いていると自分の身体も見えないし、自分自身の存在も忘れてしまう。ああ今、誰でもない存在が、ふらふら彷徨っている。ダンジョンマスターの最初みたいだな、とか。

よく認識論? とかで「地球に落ちた最初の雷に音はあったか」「世界は本当にカラフルか」という問いがあったかと思います(多分)。音も色も、人間の五官が各種の振動を受けて、脳内でしかるべく変換しているので、今認識できる世界は、飽くまで人間にとって。そこで、「世界本来の姿」を想像する時(んなもの無い、でもいいんですが)、「0人目の主体」が役に立つかもしれません。

もう少し実用的なところでは。何か「作品」を作るとき。作品の種類によりますが、ハードとソフト、この土台と実体が揃わないと作り始めることが難しい。特にハードでつまづいて、ソフトにも至らないケース。

そこで「0人の主体」が「一人目に先駆けて動く」ことを参考に、敢えて「ソフト」の方から走らせる、とか。或いは「ソフトはないけど走らせる」とか。「始める前から始まっている」「始める前を始めることができる」。

例えば、絵を描きたいとする。そのためにはキャンバスや紙などの支持体、鉛筆や絵の具などの画材、を用意しなくちゃならない。それを細々と棚から出したり買いに行ったりしているうちに、絵を描く気も失せる。くらいなら、絵を描きたい、と思った瞬間に、支持体も画材もないまま「描きはじめる」。突如、指先で。その軌道を記録しておき、後で支持体と画材を購入し、記録した軌道を再現して絵を完成させる(どうやって即座に後日再現可能な形で指先の軌道を記録するかという大きな問題は残っていますが)。

はたまた、小説を書きたいとする。これなら、ゆうても文字だけだから準備がなくてもすぐに書ける。しかし、さらにその前提となる物語があるわけじゃない。登場人物は勿論、世界観もない。それすらの用意はない。でも、小説を書きはじめてみる。主人公が登場して、それは誰かわからないし、何処にいるかもわからないけど、取り敢えず登場させる。その主人公が立ち上がる。立ち上がってから、座っていたとわかる。時系列的には、最初に座っていて、次に立ち上がるわけだけど、この手法においては、立ち上がってから、座っていたことが後で決定される。そういう調子で、小説を、とにかく書いていく。勿論、それが良い作品にはなるかは、かなり別の話だけれど。

「0人目の主体」に牽引させる方法論。一人目が登場する前に。

※ 24人のキャラクターのうち2人は、特別に強力なキャラクターとなっており、牢獄の中でも隠し部屋に閉じ込められています。その隠し部屋に進入するためには、(確か)スイッチを押したりしなけりゃならない。「0人目」には、その操作が不可能です。押す指がないし。そこで、強力なキャラクターを戦列に加えるためには、予め最低一人選ぶ必要がある。その一人が、隠されたキャラクターを探しにいけるわけですが、隠し部屋にはモンスターも沢山待ち構えています。ああ、0人目ならモンスターに噛み付かれる心配もないのに……。この葛藤も面白い。

追記

例えばですけど、今自分、新しいアプリケーションやサービスを作るとしたら。従来なら、アカウントを作って、そのために必要な情報を入力して……だけど、今なら多分、まずサービスの表象を実践させて、というノリになるかと思います。知らないけど、フリマアプリなら、スターとさせた途端、一番最初にカメラが起動、売りたい商品はどれ?つって、撮影させて、いくらにする?つって、金額入力させる。で、商品ページができました! って公開させてから、細かい入力をさせる、みたいな。に、今、恐らくなっているでしょう。これもまたダンジョンマスターの応用かな。