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Thawing Glaciers

間も無く平成が終わる。へぇ……せー、と言葉遊びにもならぬほど、別にどうでもよいことだヘルマン。多くの人がそうであるように、元号に興味がない。西暦の方が合理的でしょ、とかね。また同じく多くの人がそうであるように、殊更に元号を憎むわけでもない。まあそういうものもあっていいし、次はなんだろね、とも思う。総じて、やはりどうでもいいこと。

今盛んに「平成」が振り返られているが(と言っても心からその話題に積極的な人はきっと少なく、例えば間も無く節分だから恵方巻きのコーナーを作って飾りつけせねば、実際どれほどの売上と利益をもたらすかは別としても、といったこととして)、元号をもって時代を考えるのはあまり意味がない、と考えている。例えば、この30年、という尺度で時代を考えることはできるだろう。その更に30年前と比べるなどして。でも元号は同じ年数で区切られるわけではない。直前の昭和は平成の倍以上もあり、かと思えば大正は短命に終わりけり、いづれも比較にならない。為政者の交替によって変わるなら、年数はまちまちでも意味はあるかもしれないが、代わるのは象徴なるものでしかない。そして象徴だからこそ、何も変わらない(何か変われば象徴ではない)。

昭和、は今や前時代的程度の意味合いで使われるが、平成元年に何か具体的なことが起こって世界を前後を切り分けたわけでもない。生活を一変させる革新的な技術の発明と運用を記念するものではない(技術の革新や普及の時機を、時にその元年と呼んだりするけれど、本来の意味の方が強度に劣るわけだ)。それは、印象の問題でしかない。世間で語られる多くの平成に対する印象は、実は平成の後期のことでしかなかったり、昭和っぽいと思いきや平成の最初辺りであったり。昭和もまた、六十数年間のそれではなく殆ど「終戦後」みたいな意味で語られる。やはり物差しとして用いるには余りに品質が不揃いだ。或る批評家が以前「平成も早三十年だが、あれやこれやの旧い各種社会問題は未だ解決されぬまま引き摺り続け、現在は昭和の九十年代と考えた方が適切だろう」みたいなことを言っていて、成程御説御最も、と一瞬思ったけれど、よく考えればごく当たり前のこと。昭和であれ、或は西暦であれ、一直線に伸びる時間軸にかわりはない。平成7年辺りに解決した昭和41年頃の問題もきっとあるだろう。また別の批評家は、新聞社が企画した「平成の30冊」云々のアンケートに対し、幾つか海外の本を取り上げていた。それもまた(以下略)。云々。

終わり、新しく始まるというのなら、どうぞご自由に。だが僕には、僕だけでなく時代の本質にも、別段関係のないことだ。

……………と、以前なら思っていたのだけれど。

ごく最近、少し考えが変わってしまった。

意味も根拠も必然性も無い、ことにこそ、だからこそ、本当に柔らかい部分を突き刺しかねない危険性を持ち得る。真に恐ろしく、実に運命を左右するのは、因果応報ではなく、通り魔の不意打ち。

平成なるものが終わる、というのなら、それは終わるのだろう、本来は無関係な、様々なものを意味もなく巻き添えにして。これを機に、もののついで、がてら、もっけの幸い、行き掛けの駄賃、とばかりに。

漫画でよくある、強者同士の決闘が不意に始まるシーン、静かに対峙する実力伯仲の二人が、暗黙のうちに了解し、臨時に設定される開始の合図……それは木の葉の落ちる瞬間であったり、鹿威しが音を立てる瞬間であったり、元号が変わる瞬間であったりと、それ自体には深い意味も関与もないが、それ自体を境にして、一人は死に、一人は生き延びるのだ。

そして、平成は時代尺度とならない、僕には関係ない、と冒頭に繰り返し書いたが、恐ろしいことにそうでもない。

平成は、うっかり僕の全身を、帯に襷にピッタリのサイズで包み込んでいた。

「如何にも平成の人」とは、平成元年に生まれた人のことか(平成くん)。果たしてそうではないだろう。元年生まれは肝心要、平成の初期を乳幼児として朧に過ごし、その記憶は多く残らない。一方、そも平成の象徴たる当人も、人生の半分以上は昭和を過ごしている。その象徴と同世代の人は、むしろ典型的な昭和の人として形容されるであろう高齢者だ。彼らは到底、平成の人とはいえない。

一方、僕は1982年4月生まれ。平成を迎えた頃は、小学校就学の直前。既に物心ついて久しく、平成元年生まれ如き序盤の抜け落ちはない。陸上競技に例えれば、既に十分な助走を終え、平成が始まった瞬間に丁度フルスピードへ到達、そのままそれを維持できる限界の31年間を走りきった計算になる。僕よりコンマ一秒でも早く生まれた人は、平成の序盤を不十分に過ごし、遅く生まれた人は平成が終わらぬうちに息切れを起こし、未だ記憶に新しい昭和と相対化して捉える。

まさに、まさか、僕が純粋ミスター平成だったとは……。

そして、ただ単純に丁度平成に居合わせた、だけではない。この平成の間、僕の生活には全く変化がなかった。平日は毎日、朝起きて、ほねっこ食べて、何処かに通って何かしらの作業に従事し、それ以外は遊ぶ、その繰り返し。通う何処かが、学校か職場かの差であり、そして実質その差はない。また何処にも通わない空白期間も無い。住む地域も変わらず、家族も死なず、生まれもしない。平成の31年間、一度たりとも元号が変わらなかったように、僕の人生も絶え間なく、変わりはない。

その平成が終わるという。ならば、僕の変わりない生活にも、いよいよ終わりが訪れるかもしれない。実のところ、本当に何も変わりがない人生はあり得ない、ということは実感こそなくとも知識としては理解している。そしてこれから起こる必然の変化というものは、控えめに言って、良いものではない。固く結んだ約束を反故にし、墓場まで持っていくはずだった秘密は漏洩、後遺症だけを残して被害も加害も時効が成立、諦めきれず腐っても尚、取るだけ取って置いた諸々を、いよいよ放棄する時。

新しい元号は、さしあたり先ず、僕の親を殺すだろう。親だけでなく、知る全ての老人は、新しい元号のもと一人残らず死に絶える。この時期を生きる老人にとって新元号とは、等しく与えられた一律の戒名に他ならない。高齢者だけでなく、同世代の知人や友人たちとて、何人かはその凶刃に倒れるだろう。彼らと在りし日の穏やかな平成の日常が、そのまま「死亡フラグ」(この言葉はあまり好きでないけれど)の役割を、結果として果たしていのだ。

そして、この新元号の時代を無事に生き延びたとしても――それはひとむかし前のビデオゲームによく見られた「強制全滅イベント」を、何らかの裏技や力技を使って無理矢理回避して生き延びても、画面がひとたび切り替われば結局は既定路線というように――また30年もせぬうち、新しい元号へ再び変わり、今度こそは確実に、僕はそいつに殺される。その殺人鬼が後ろに控えていることははっきりとしているのだ、その名前を未だ知らないだけで。

何故、一直線を等速に進む時間というものに、不規則な固有の名前を与えてしまったのだろう。例えただの壁の染みであっても、目と口を見立てれば人面としてひとつの表情をなし、その表情から複雑な感情までも見出し、名前を与えて呼べば魂が生まれる。軽はずみにそんなことしてはならない。そんなことさえしなければ、僕は一年、また一年と、ただ数値の増加とともに緩やかに老い、必要に応じて変化もし、尽きれば終わるだけの話だったのに。元号なるものの意味のなさが、その無意味な振る舞いによって31年間をも凍結させ、そして今更、融けてゆく。

沈黙にファンファーレ

はっきりと意志を示し声を上げていくことが重要な問題や局面、は多い。また、取るに足らない自明のことであっても何処かでちゃんと明言しておくことは、暗黙の了解を求められることが多い中で、誰かを助けることになるかもしれないし(ちょうちょむすびのやりかたとか)、複雑化する物事の中で確認や整理など自分にとっても役に立つ。そんなことは言うまでもないことだ。……と言ったそばからいちいち断りたくなるけれど、たとえばこの作文のように、まあ記しておく。

けれど、何も言わない……沈黙が最良で正しい選択、ということも、それなりにある。かの有名な漫画の場面に「沈黙が正しい答え云々」とあるけれど、まさしくそうだ、と引きたくなることも日常の折々に多々(逆に本家の漫画でこのシーンはちょっとよくわかんねえ)。

沈黙がよい、というより、そもそも「その問題自体が余計なことを言うことで発生した」ことも多い。秘密の漏洩はそのもの。また当世流行の舌禍もその最たるものだろう。この言い訳として、内心と表現の自由が駆り出されたりする。そうなるといささか話はややこしくなり、まあこの際その気持ちを抱くこと自体はわからなくもないし自由だが、よりによってその場所その立場で、何故ただ単純に黙れなかったのか、と結局そこが問題となってくる。だいたい、それを言ったところで何か解決や望む方向への変化でもあるのか? 本質は思想信条にあるとしても、表出する問題の首根っこを掴んでいるのは沈黙であったりする。

一見堂々と声をあげて立ち向かうべき問題、についても——これは「沈黙するのが賢い、怪我しない」というしたたかな立場を推奨する意味でなく——声を上げることで、声が通る意味の限りで対立構造や陣営が固まり、そのどちらかを巡って不毛な戦いが始まり結局共倒れする(結果、本題とは別に、ただただ騒動を好む外野の好奇を満たすのみ)——くらいならば、口を閉じたまま、様々な意見や情報に目を通し耳を傾け、ただ最善を行動する、方が良かったのかも、ということもあるだろう。少なくとも、初手からわざわざ立場を表明することはない、その必要はない。その立場であった、としても。

沈黙という選択肢は、自分が、だけでなく、他者の沈黙を守ることも意味する。ありがちな例として、他人に対し「男か、女か」を問う……真正面から聞くというより、各種書式の必要項目として、よくある。しかし最近では男と女に限らない性別もあるらしいぜ、じゃあ三番目の項目を設けてあげるのが今の時代の気遣いじゃん、どんな項目名にしよう? 場合によっては四番目の選択肢もあった方がいい? ……などと考えるくらいなら、そもそも性別を聞く必要があるのか、から考え直した方がよい。今はポリコレとかいって言葉遣いに気を遣わなければならないから大変、じゃなくて、そもそも必要でないことは(多く、必要はない)問わなくていいし、相手にも答えさせなくてよい。

問う立場でなくとも、もっと身近なこととして。例えばTwitterで「これ書こうか、書くまいか」と考えることがよくあるけれど(恥ずかしいことに)、そもそも全て、書く必要のないこと。アカウントが無ければ書けないのだし。とは言え、普段から色々書いているけど、少なくとも迷った時点では書かないようにしつつ、迷ったこと自体が滑稽なものだとその度に自分を嗤う。他愛ないことを言うのも大切で自由だけれど、多くは「そもそも言う必要のない」ことを、忘れがちではある。

他のジャンルだと黙秘権というものもある。実際に取り調べされたことないのでよく知らないけど「救援ノート」によれば、逮捕された時は黙秘一択。なるほど、仮に正当性を説明できる自信があっても、また単純に明らかな冤罪で「やってない」とだけ言うにしても。取調室という密室の異常空間で、いったん顕われた言葉と意味は如何様にでも変質していく。0”ですら加算される危険あり”null”に徹するのが最善。

あと、僕はお上品故に下品なことが嫌いなので、それについては一切沈黙して欲しい、と考えている。下品なことというのは、その述語に限らず、単語が表出するだけで様々な不快へと巻き込んでいく。今回だけ沈黙に対するメタ説明なので、特別に言うけれど、下品のわかりやすい例は「うんこ」ですね。うんこがどうしたああした、という以前に、うんこ、と単語が表出するだけで実に様々なダメージを負う。これについて多少は一般常識として守られているので、かなり嫌なやつでも食事中には余程狙わない限りうんこの話はしない。ところが一方で、うんこを忌避する態度を取ると「うんこは大切だろう。うんこ生命活動の必然だろう。お前はうんこしないのか?」等と、ここぞとばかり嬉しそうにうんこを連発して責めて来る連中も一定いる。確かに下品なことというのは、得てして大自然における生命の根幹と真理を握っている、と言えなくもない。捉え方によっては、下品なことを忌避する僕のような態度が、とても不自然で爛れた文明人の奢り、にもなるかもしれない。そして現代芸術などを見ていると、むしろ広義の下品さと無縁なものの方が少ない(何せある種の現代美術はデュシャンの「泉」、便器で始まる)。逆に言えば「お上品」は前近代的な幻想に過ぎず今更毒にも薬にもならない。芸術作品であるからには何かしらを問わなければ意義がないので、極端にいえば何処かで下品さを含まなければ芸術にならない。まあ、そうだろう。しかし、そのためには「作品」という完結性をもって、一旦の現実世界から距離を置く必要がある。というか、僕はそう求める(なので余談ですが、僕は作品と観客の境界線というものを重く見ている)。その境界を、一定の沈黙で埋める必要がある。

ところで僕にとってこれら沈黙に対する所見は、例にあげたような各種時事社会芸術問題よりも、むしろ会社での日々の仕事で得た感がある。無能な割に、社内や客先に対しこうした方がいいのでは、ああした方がいいのではと逡巡して徒に時間ばかり費やし、半端で余計な選択肢を無闇に増やしては現場を混乱させる。勿論、そうした気配り自体は悪くはないし、各種の可能性は想定しておくべきではある。判断材料や選択肢は多ければ多い程良い。けれど、黙る時は適切に黙っておく、ことも大切。

まさしく、沈黙は金。サイレントが最善手。

なのだけれど。

沈黙を守るのは難しい。

まず単純に、人は表現する生き物であり、その内容の是非や損得とは全く無関係に言葉を表出させる。裸の王様の耳はロバの耳という寓話もある。人の口に戸は竹立てられぬのは竹立てかけたかったから竹立てかけた。明らかに愚かで考え無しで理解し難い失言や舌禍の類も、その発生にはメカニズムがある(らしい)。失言によって衆目に晒されるのも一種の快感かもしれない、無視されるよりは。まあ、この手の人間の業については周知の通り。

しかし、もしやそれ以上に。沈黙を「守る」という表現からわかるように、状況によって雄弁より大切なことのはずだけど、沈黙それ自体は見えにくい(そりゃそうだ、見えなくしているのだから)という沈黙特有の事情もあるのではないか。「よしゃー、今日は声を出していこうぜー! エイエイ、オー!」というのはあるけれど「よっしゃー、今日は沈黙していこうぜー! エイエイ、シーン……」という状況は考えにくい。

コンサート会場などでは沈黙は遵守項目となる。しかし、それも飽くまで小言の類として扱われる。今、応援上映・マサラ上映といって、楽しく騒ぎながら映画を観るブームがあるけれど、これがむしろもっと人気出て標準化して欲しい。するとしばらくして、時折「黙って静かに映画を観る特別上映」が企画されるかもしれない。この時は、沈黙が積極的な意味で語られるかもしれない。「よしみんな、映画が始まったら一斉にシーン……でいくぞ!」みたいに。

僕自身、以前は「とにかく何事も言葉にしていくこと」を至上として正当化していった。あらんかぎりにあらんことを。あることのあらし。そこで生じる誤解や齟齬も、更なる言葉を上積みすることによって解消していく、という理想。また事前に言葉の限界を予め織り込んでおくことで、そもそもの誤解や齟齬の発生に余裕を持たせる。流石にそれだきゃ言ってはいけない言葉など一定基準を設けては、言うべき言葉も萎縮する。全ての言葉を許容する。「〜が憎い、嫌い」という発言に益は無いし、単なる私的な気持ちの表明だとしても、発言だけでその対象を充分に傷つける。かといって適切に、それを奥底に仕舞い込んでは、その憎しみが問題化されず、原因も対処できず、解消の可能性もなく、そしていつか無言のままでその対象を直接的に傷つけるかもしれない。それならば……と。

しかし、これも加齢の影響か、或は。ともあれ、最近の変節の一つ。まあ、勿論、ケースバイケース。冒頭の通り、多くの場合は発言することが重要であることが前提。そして時折は、沈黙の選択肢について考える。僕はこれを声に出して紙に書いて語るべきか、或は、沈黙するべきか。沈黙という消去的選択、しかし実際に発言するその直前までは、誰もが沈黙を選び取っている。当たり前だけれど。全ての発言は、沈黙を破ることによって始まる。では沈黙は何によって始まり、そして何によって終わるのか。

どうか沈黙という門出にファンファーレを鳴らしてほしい。皆勤賞のように皆黙賞を制定しみんなの前で讃えてほしい。禁煙支援アプリケーション(?)の「おめでとう、今日で禁煙何日目! 煙草を買う金でベンツが買えました。この調子でがんばって!」というように沈黙の成果を明確に定量化して評価してほしい。時折、謎の紳士が物陰から現れては「今迄よく沈黙を守り通してくれましたね。どうかこれからもがんばってください」と手を固く握ってすぐに去ってほしい。

沈黙を守り切れず、沈黙についての沈黙を破る。

V

差別や偏見又は日常の些事などでも、古くて間違っていて他者だけでなく時に自分自身も傷つけかねない「価値観」について、それと気づかせる比較的穏健な啓蒙として「呪い」という言葉が時に使われるけど、では「祝福」とは何か、とよく考える。

勿論、この状況における「祝福」とは、単純に良い意味だとは限らない。

わかりやすい例として、ジェンダー。ごくごく話を単純化して、今時分「男らしさ、女らしさ」なんてものを求めるのは間違っている。僕は(見た目のおっさん度と反比例して)所謂男らしくないので、他者から「男なのにおかしい」「男なんだからこうしろ」と批判されたり強要されたりすると嫌な気分になったり、いやそれは、と反発する。この時、呪いをかけられているわけだけど、かける側も他者にそう言わねばならぬことで既に嫌な気分に陥っているのであり、また自身も何らかの局面でそれを求められた時は反発できず、自分を追いつめることになるかもしれない。両者ともに害を及ぼす、まさしく呪いであるわけだけど、敢えて呪いという言葉が使われるのは、合理的な因果関係でなく無根拠で古い慣習に準拠しているだけなので、その気になればせーの! でぱっと解くことができる可能性がある、からだろう(勿論、実際には容易ではないけれど)。故に、こうした問題を表現する時に「呪い」という言葉が用いられるのは、そんなもんさっさと解こう、という啓蒙的な意図があるからだと思う。古い価値観を押し付ける奴が加害者、という単純な対立構図を避けている、穏健な啓蒙。

さて、こうした呪いを発動し得る価値観の体系によって、批判や強要だけでなく、逆に賞賛や承認を得る可能性だって勿論ある。呪い、に対する、祝福。例えば(そんなことは今迄に一度も無かったが)僕がした何らかの行動が「男らしい!」などと賞賛されて、それを無批判に嬉しく思う可能性はあるだろう。

これをそのまま受け取って自分の糧にしてしまうと、今度は掛け値無しの呪いを食らう可能性もある。なので、理屈で考えると、この祝福はキャンセルする必要がある。この例なら「いや別に男らしくはないですよ、男らしいからやったわけじゃないですよ、そんなの関係ないですよ」等と言って、相手の賞賛を不意にする。それによって別途の違和が相手方に発生し、まあ折角の祝福が、となるけれど、まあ、そうするべき、だと思われます。ですよね。

こうして話を簡単な例でパッケージ化した場合は、わかりやすいのだけれど、実際のものごとはややこしく、管見の限り、祝福をキャンセルする、といった状況はあまり見受けられない。場合によっては後日、良い話の一つとしてコレクションされたりもする。それ、が呪いの裏返しである祝福だと一瞬で見抜くのは容易ではない(一直線に自分を傷つけてくる呪いですらも、それが呪いだと気付くのは難しい)。また仮に見抜いても、やはり祝福を受け取る誘惑を乗り越えてキャンセルすることは至難とも言えるだろう。

あれは確か、大学二回生の春のことじゃった。

芸術大学、の、アートプロデュースなぞ学ぶ学科の或る授業。必須授業だったので一回生の時から出席者の顔ぶれは概ね変わらないが、見知らぬ韓国人留学生がその授業に出席していた。カンさん(仮名)の年齢は我々二回生たちより幾つか上だが、単位取得の関係上、こうして下級生の授業に混じっていた。カンさんは、優秀そうな雰囲気をばりばりと出しており、実際に何らかの活動の成果を僕はその時既に知っていたのかもしれない、また韓国への興味もあって、学生時分の僕はお近づきになりたいなー、などと内心で思っていた。と言っても、その時は、たまたま席が隣り合った時に一度挨拶したくらい。

その日は、あるプロデューサーをゲスト講師に、現在準備中のイベントに即した実務などを話す授業だった。最後にそのプロデューサーは「このイベントの本番当日、手伝ってくれる学生を募集しています。現場を学ぶ良い機会になると思います。希望される学生は後で連絡先を教えてください」と教室から学生ボランティアを募集した。芸大に限らずよくある話、テイよく労働力を無料で学生から確保する、だけでなく一定の入場料まで獲得する、あれ。とは言え当時、僕も学生。「大学は、学ぶところじゃなく機会を作りにいくところ」という先輩の言葉を思い出しつつ、他の十数名に並び連絡先をその人にあずけた。

それから数日後のこと。僕はカンさんに呼び出された。

「この前、授業できた講師の手伝いの件。私が代表として、みんなの連絡先を集約しています。それで、山本君にも手伝って欲しいのだけれど」

こういうのは、まあ、良い話なんでしょう。しょうもないボランティアでも、これを機会に学生間の連絡係代表として振る舞い、またカンさんとも仕事をともにして、何か次の機会に繋がるかもしれない。しかし何故、僕に声がかかったのか。一度挨拶しただけだけど、あの授業に同世代はいなかったのだから僕が数少ない言葉を交わした一人だったからかもしれない。また当時、騒がしい学生たちの中で僕は前の席で大人しく授業を聞いていたので、真面目だと思われたかもしれない。

「大学は、学ぶところじゃなく機会を作りにいくところ」という言葉が再びよぎりつつ。しかし、僕は、その場でカンさんを怒り、拒否し、そのボランティアからも抜けた。まさか断られると思っていなかったであろうカンさんは呆然としていた。その後、プロデューサーにも直接電話して怒ったりした。

何故か。連絡先はそもそもプロデューサーに直接あずけたので、先ずはそこからの連絡を待っている状態だった。それが知らぬ間に同じ学生のカンさんが代表者として選ばれ、またカンさんによって僕が選ばれ、みんなの連絡先が勝手に流出している。誰かが代表してまとめる必要があるにしても、それを皆の周知と合意を得ぬまま決まるのはおかしい。

そもそも何故、カンさんが最初に代表となったのだろうか……その雰囲気や必然性、は何となくわかるにしても。あの授業に於いては我々と同じ、多くの学生の内の一人でしかなかったはず。たまたま単発で来たゲスト講師が、実際にはどういう経緯で、カンさんを選んだのか?

さて、このイベントですが、顛末を見届けるため僕は一般客として行った。ただ一応正体を隠すためと抗議の意を込め、おかめをつけてほっかむりに白衣という奇装で、客席後方にふんぞりかえる。

動きやすい服装で、と指示があった同期の学生ボランティアたちは、後日聞いたところ、多数の客席用椅子を並べるなど現場ならではの仕事で経験を積み、しかし椅子不足のため本番中は舞台前の空間で集団三角座りをしていた。

ちなみに、イベント自体はなかなか面白かった、です。海外を含む現代音楽家三名が、実演し、レクチャーもする。最後、不思議な糸電話状の創作楽器を演奏するため、アーティストの他にアシスタントが一人、楽器の片方を手に取る。そのアシスタントは、舞台向けの衣装に身を包んだカンさんだった。

アーティストの祝福を受け、会場を代表して楽器を受け取るカンさんは、その祝福のごく一部を、僕にもお裾分けしてくれようとしたのだろう。しかし、僕はそれをキャンセルした。カンさんが得た祝福の正当性は僕にはわからないが、それをそのまま受け取った(承諾無く全員の連絡先を掴んだ)のはやはり間違いだった、と今でも思う。

以上、あってきたるや、という話でした。……なのだけれど。ただ最近、少し心境は変わった。祝福、それもまた良いでしょう。と言うか、それらが適切かどうかを判断していったところで、得られるのはただの「公正さ」でしかない。それも得られることならば万々歳だけれど、現実的には身の回りの瑣末な些事を切り分けていくだけで、つまらない自己満足と諍いしかそこに残らない。それこそが僕にかけられた(自分でかけた)呪いかもしれない。とは言え、変わったのは目端の心境のみで、考え方が変わったわけではない。あの時はそうするしかなかったし、今でも別に後悔はしていない。けれど最近、祝福について考える際、この話を思い出した、ので。

 

三国ヶ丘にて

盆踊りは極めて普遍的な楽しみですが、関西各地の盆踊りをあれこれと踊り較べて楽しむのは、少し特別な楽しみ。特別といっても気張った遠征などでなく、飽くまで隣町へ遊びに行く、ごくささやかなこととして(と自分に言い聞かせ)。これが可能なのは、偶然にも実家という宿泊拠点がにあるという地の利によるところ多し。例えば伊丹は盆踊り盛んですが、そこから同じく盛んな橋本まで行くのは容易ではありません。以前より、堺を一つの元ネタとして、作品に地名を登場させたり、又は阪堺線をテーマにした短編劇を作ったりしてきたけれど(地元への愛着というより、これといった特徴なく普通に寂れた町に親近感あるから)、斯くして最近の盆踊り趣味からもまた一つ、堺に新しい意義を見出すことができました。

そも堺とは、三つの国の「境」に由来し……というのは皆様ご存知の通りですが、本当に恥ずかしながら、サカイサカイとこれまで言うてきた割には、具体的にその境が何処か、あまり気にしてこなかった(これまで興味の中心は、左海に面した大浜界隈だったこともあり)。

ということで、先ずは復習。その三つ国とは摂津、河内、和泉(泉州)。なるほど……どれもざっくり、大阪、ってイメージはありましたが違いがよくわからなかった。今ではもう少しはっきりわかります。何故なら摂津音頭、河内音頭、泉州音頭と、いづれも国名冠した「音頭」があるから。河内音頭が盛んな河内、はそのまんまですが、摂津は大阪府北中部の大半と兵庫県南東部だから「録音頭(ご当地の音頭だけでなくレコードを用いて各地の民踊や歌謡曲を踊る都市型の盆踊り)が盛んな地域」即ち大阪市内から淀川、尼崎、伊丹など、特徴と地域がピタリ当てはまります(尚、摂津音頭と呼ばれる民踊は伊丹市の旧川辺郡に限られます)。

まあ、それは多分にこじつけ。再び三つ国の境、堺が堺たる境の「一カ所」とは何処なのか? ……ああ「三国ヶ丘」という地名がそうだったんですね。三国ヶ丘は昔から聞き慣れた地名で、特別な感じがない。最初は市内有数の進学校の名前として、次は南海高野線と阪和線が接続する微妙な乗り換え駅として(二十年程前、阪和線は三国ヶ丘駅に急行の類は停まらなかった。高野線は今も通らない)。単に、あのへん、としか印象のなかった地名。

地理的にも境界という感じがない。現在の市境である、わかりやすい大和川のような区切りもない。そのかわり「境」の象徴としてあるのが、府道12号線沿いにある方違神社。あー……なるほど……。あの神社、結構有名とだけ聞いたことあるけれど、寺社仏閣玉姫殿の類にあまり興味なく、スルーしていた。まさしくあそこが「堺」だったとは。意外。そして我が家も、まさしく方違神社のすぐ近く(いや、すぐではないけど、まあわりと近く)にあり。

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ということで新年は、生まれて始めて自主的に、初詣をしてきました(正に、初、詣)。秋頃にも行ったのだけど、その時は社が建て替え中でした。方除けの神社ですが、前述のことから勝手に盆踊りの神社と決め込んで、今年も一年、色んな踊りができますよう、また界隈の踊り子たちが無事過ごされますよう、と祈願してきました。

三国の境界故に何処でもない場所が「無」でなく「境」でもなく又「全」でもなく「方違」と表現されるのも、なんか良い。これは「方違え」の風習に由来するからで、この場所自体が何かしら「違う」という否定的な意味ではない、のだけれど。

たがい、は「違い」だけでなく「互い」とも音が通じる。字源も語源も別だろうけど、かみあわない「違い」も、かみあう「互い」も、いづれも重なり合い、干渉し合い、真逆の様相のようでいて、実はよく似ている状態なのかもしれない。ただ、とても不安定である。そわそわとする。すっきりとは収まらない。そんな場所が「方違」と名付けられているなら、そう、と思う。

実際、たがえた「堺の盆踊り」は少し謎めいている。まずそれは堺独自のご当地ものでなく、河内音頭や江州音頭などが流入したもの。他所でも多くはそうだけれど、それがパッケージのままその名で呼ばれるわけでもなく(外部から来たものは、帰って名前が固定されやすいと思うのだけれど)、太鼓の宮入に付随する形で、他の地域に較べて少し変形した足取りで踊られる(金岡神社)。盆踊り巡りに至便な堺、けれど堺そのものは余所に較べてはっきりとした盆踊り文化があるわけじゃない。いや、むしろ夏場は盛んで音頭会も多数あるのだけど、「堺の盆踊り」なるものが一つのパッケージとして余所で披露されたりはしない。不思議なことに、より南の岸和田や貝塚までくれば、今度は泉州音頭として明確な特色となっていく。中心、故の微妙さ。


三国ヶ丘、というイメージをごく私的に流用すれば、私の家族が巡って来た中国、韓国、日本という三つ国にも重なる。これまでは前述の通り、木製洋式燈台が照らす「港」としての堺にそのイメージを委ねて来たけれど「丘」としての堺でも良かったわけか。とはいえそれはやはり、境界線のように明確でなく、横断できるような自由さもなく、また何処でもない場所というほどニュートラルでもなく、方違。その辺りに今現在、私の実家はあり、年老いた両親は、経営する殆ど客の来ない中華料理屋と婦人服屋という隣り合わせるには相性の悪い組み合わせの店舗付住宅の奥で、中国経由で字幕のついた韓国ドラマをネットで観ながら夕飯を食べている。泉州や紀州からの盆踊りの帰り、私もそこに同席する。

ベルサイユの天子の闇、日出処のばらの影

最近はあまり本を読む気分にならないが、実家に帰った時は、寝入る前に適当な漫画を読む。主に姉が残した少女漫画で、僕も小さい頃から既に繰り返し読んでいるから、頭を使わずにすむ。と言ってもさすがに飽きたので、今までなかなか手が出ず未読のままだった「ベルサイユのばら」(池田理代子)を読むことにした。

姉が中学生の頃、宝塚狂いで「ベルサイユのばら」の舞台映像を繰り返し観ていた為、歌や固有名詞、せりふの断片、概ねの話は、同じ部屋にいた僕にも刷り込まれている。姉の影響で少女漫画は昔から好きだが、「ベルサイユのばら」については舞台版の絢爛な印象が強く、特に読みたいとは思わなかった。宝塚はやはり少年の趣味としては難しい。しかし後々、古典的名作には違いないので何時かは読みたいとは考えていた。

斯くしてこの夏このタイミングで、特に必然性のないまま「ベルばら」を集中して読んだのだけど、やはり面白かった、です。宝塚で強く印象づけられた「おめめキラキラむかしの少女漫画」はさぞクドかろう、と覚悟していたけど、全くそんなことはない。快男児オスカルの気っ風良さ、町娘ロザリーの可憐さ、スールスルと入ってくる。

で、読み進める内に「日出処の天子」(山岸凉子)を思い出した。以前、山型浩生の古い書評を読んで興味を持ち、こちらは何年か前に、満を持して読んだのだった。

CUT 1994.04 Book Review / ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。

舞台は6世紀の日本と18世紀のフランス、場所と時間に大きく差はあるが、まあざっくり「歴史もの」に違いなく、物語の中心を為す人物がトランスジェンダーであること、なども共通する(オスカルは、トランスどころかジェンダーに縛られまくっている、ともいえるけど)。

この二つの漫画については最早語り尽くされているので今更何を言っても、なので逆に「浅読み」……実家の本棚にたまたまあったから暇潰しに読んだだけでも得れたこと(但し前述の山形浩生の書評を援用しつつ)、について、ここに書きとめておく。


それは要するに、人生(?)には「公」と「私」2つの領域があるナー、ということ。

人は、まず「公」……社会、制度、生活、政治、理想、役割、使命、倫理、慣習に従って奔走し、それぞれの成果を出す(又は出せない)。かくて革命は成就し、高貴な人々は尊厳を全うし、雨乞いを成し遂げ、夢殿を建立し、政治の実権を握る。

一方「私」……とは、この二作の場合、即ち「愛」で、とにかく愛が歴史と政治の隙間を縫うようにして各方面に乱れ飛び、その多くは(多く「公」が阻害する形で)達成されない。この点が、時代物でありながら、どちらも王道の「少女漫画」たる所以かもしれない。

この「公私」は、表裏や右左といった単純で対称的な二大分類、ではない。

まず、1)登場人物たち自身には通常、公私の区分は容易に見分けがつかない。当たり前だが、普段から公私の区分をわけて考え行動しているわけではない。

そして、2)全体における公私の「割合」が大きく違う。人は通常、多くの時間と思念と行動を「公」のために割く。「私」が差し込む量感的な割合は少ない。意図できる「公」と違って「私」は多くの偶然性(仮面舞踏会の出会いや、水浴びの目撃)よって発生するため、自ずと稀少となる。

それでいて、3)結局、世の中で大切で重要なのは「私」(つまり愛)の方「だけ」である。「公」の積み重ねは「私」の足しにもならない。逆に「私」があれば「公」は実はどうでもよい(「貧しくとも愛があれば」)。

だが、1)の通り、その区分は自明ではないので、4)「私」の欠落を埋めるためにも人々は「公」の営みへと駆り立てられる。アントワネットは心の空白を埋めるために社交会で遊び散財する、という描写があるし、厩戸皇子も全能でありながら、毛人の愛を得るために裏で策略を尽くし、結果的には深い孤独に陥る。そして再び(所詮は無駄な)「公」へと向かわせる(本来は関心が無いはずの俗世の政治に深く介入もする)。

そして、5)「公」は合理的であり、その実現はたとえ困難なれど、道筋は明確に示されている。一方、「私」は不合理で突発的で運命的で、操縦不可能であり、その性質は「公」に属さないだけでなく、逆に「公」と相反する。愛は常に(!)背徳的である。

少女漫画の場合「私」は主に「愛」だけど、同様の構図は少年漫画他にも無くはない。それは「血縁」だったり「絆」だったりする。例えば現代少年漫画の代表「ワンピース」(尾田栄一郎)の主人公、ルフィはどうか。ビブルカードを通じて(義理だけど)兄のエースがピンチと最初に知った時は「エースにはエースの冒険がある」と割り切り、放っておいた。これは海賊である二人の「公」的判断で、潔い。しかし、いよいよエースが処刑されそうになったことが報道されると、ルフィはあらゆる危険を冒し、離散した仲間(「公」的な冒険によって得た)との再会より優先して、別チームの海賊であるが「私」にとって大切なエースの救出に向かう(そして失敗する)。

他には「信念」が相当するか。「ドラゴンボール」(鳥山明)では悟空ら戦闘民族サイヤ人の「より強い敵と戦いたい」という信念(私)により、何度も敢えて強敵を逃し、地球(公)を巻き込んだ窮地に陥る。「あしたのジョー」(ちばてつや,高森朝雄)では、拳闘と力石徹の亡霊(私)に取り憑かれ、無理な減量を経て、パンチドランカー症状を発症し、最後 は「真っ白に燃え尽きる」。紀子によって示された平和な道(公)を無視して。

(例が恣意的ですが)こうした展開はジャンルに限らず多くあり、物語を駆動する根底にもなれば、時に読者をイライラさせ、批判をも招く。(公として)万事丸く収まりそうなところ、(私として)『やっぱり行きます』と書き置きだけ残して去り、「あのバカっ!」と周囲から心配され、案の定一人で勝手に窮地に陥るような。このパターンは漫画等で非常に多くある。

以上。……で? この構図は繰り返す通り定番、「よくある話」であり、別に新しい発見でもない。公より私が大事。ともすれば「モノより思い出」程度の、わかりきった話だ。また漫画独特の話でもない。「本当に大切なことは、実は全体の中の僅か」ということであれば、それこそビジネス書や自己啓発書でよく言及される「パレートの法則」(80対20の法則。成果の8割は、全体の2割に過ぎない優秀な要因が生み出す云々)なんてのもある。

そこでもう一作、同じく実家の本棚にあった漫画「海の闇、月の影」(篠原千絵)を読んでみる。これも特に意味は無く繰り返し読んでいる。ホラー・サスペンス少女漫画の名作で、僕も読み始めた頃は面白く読んだ。が、最近になって読み返すと、人気連載継続の都合(殆どの日本の漫画が持つ構造的宿命だが)によって絶え間なくホラー演出がだらだらと続く「だらしない物語」(ひたすら「哀れ流風はとらわれの身、方や克之は絶体絶命、果たして二人の運命や如何に? 続き次第はまた来週!」で読者の興味を繋ぎとめる、街頭紙芝居的な)の典型とも思うようになった(それ故に面白いのだけれど)。

しかし「ベルサイユのばら」「日出処の天子」に横たわる「公私」の枠組みにあてはめると、少し違って見える。まずは以下(前2作に較べれば知名度が下がるので)あらすじ。


物語は主人公・流風(るか)に、憧れの陸上部の先輩である克之が、告白するシーンから始まる。

しかし流風には双子の姉、流水(るみ)がいた。顔は勿論あらゆる点で二人は似て、克之への想いも同じだった。遠慮する流風を、流水は自身の気持ちを抑えて応援する。

その翌日。流風と流水ら陸上部一行は、部の送別旅行で海岸を散策中、偶然にも古い墳墓に迷いこむ。そこで古代より封じられた謎のウイルスに感染、居合わせた他の部員は全員死亡、双子だけ生き残るが、その作用で強大な超能力を身につけることになる。

こと流水にとって大きな変化は超能力だけでなく、妹を思って封じ込めていた悲しみが増大し、途轍もない憎しみへと変わったこと。流水は超能力を駆使して、流風を殺害し、克之を得ようとする。流水はウイルスを他者へ感染させて操る能力があり、使い方次第では世界をも支配できる。かくて話の規模は大きくなり、天才科学者ジーンをはじめとした多くの第三者も介入し、そして死んでいく。

時に共通の敵を巡って、手を組むこともある流風と流水。二人してウイルスを治療し平常に戻り、和解する可能性も探っていく。しかしそれも失敗し、多数の人を殺害してきた流水を庇いきれなくなった。決別する二人は最後、命をかけて直接対決、流水は敗れ、流風の手によって、幕がひかれる。


様々に流転し、ひたすら引き延ばされる物語だが、この「公私」の構図で解析してみれば……この物語は序盤どころか、最初の一頁目で完全に終了している。克之の愛は最初から流風に向けられ、それは最後まで覆らない。実は何も引き伸ばされていない。

物語は流水の死で終わる。埒外の流水が、埒外で暴れて死んだ、だけ。克之も流風も死なないし変わらない。たとえ物語が、流水の意図通り流風を殺して世界を支配しても(「私」の欠落を埋めようとする「公」の積み重ね)、克之の心(「私」が望むもの)は手に入らない。物語がだらだら続くどころか、実は何も始まりさえしないのがこの作品の正体ではないか。

「流風、あんたは全ての美徳を手に入れた。優しさ、素直さ、愛情。だからせめて世界くらいあたしが手に入れる!」

最終回、悲痛な流水のせりふが象徴する。流水の言う「美徳」は「私」の領域だが、しかし流風は別に「手に入れた」わけではない。それは運命的に流風に備えられ、流水には無かった。代償として流水は「世界」という「公」を手に入れようとするが、その無意味さと虚しさは、物語中で流水も自覚している。

「ベルサイユのばら」に戻れば、流水に相当するのはご存知フェルゼン伯爵だろう。色んな意味で、元より叶わぬ「私」(王妃アントワネットとの愛)のために、あらゆる「公」的な行動に奔走する。アントワネットの死後は冷徹な政治家として振る舞い(これも「私」の欠落による「公」の領域にある)、最後には民衆に撲殺される。


「モノより思い出」「パレートの法則」と大きく違うのは、公私という領域の対象と、その割合である。「公」の領域は広く、「私」の領域はごく僅か。パレートの法則が8対2とするなら、公私は9対1か、或は99%と残り1%か? ……無論、そのような具体的な数値は無い。が、まさしく「公」と「私」で考える通り「世界の広さ」と「自身の小ささ」がその割合比とも考えられる。

意図的にコントロールできる(可能性がある)方が外部である「公」の領域であり、全く理屈も操作も及ばない方が「私」の領域である、というのは皮肉かもしれない。


「オルタナティブ(代替)など無い」というのが少女漫画の世界観かもしれない。今の世の中、例えば二、三十年程度の期間で考えても結構良くなっていて、個人の多様性がそれなりに認められつつあり、且つ自己責任ばかり求められるわけでもない。なので、困っていれば様々な対案や代案が用意される。 しかし、そんなものには意味が無い、という感性。運命的に訪れる、ただ唯一の代替不可能な「私」が無ければ。

或いは、時列的に考えれば、こうした旧来の少女漫画の感性を反省・対抗するために、オルタナティブが叫ばれたと考えるのが妥当かもしれない。では最近の漫画はどうか。例えば映画化で再び大きな話題となった「この世界の片隅に」(こうの史代)。ここでは中身でなくタイトルだけで考えても、これも尚「この世界(公)」「片隅(私)」の構図が活きている。「この世界の片隅に うちを見つけてくれてありがとう」見つけれらた主人公のすずは、物語のラストで一人の戦災孤児を、今度は見つける。戦中という過酷な「この世界」での創意工夫もこの作品の見所だけれど、勘所はやはり、その「公」世界との対比となる偶然、故に稀少で脆い「私」性となっている。


(……)これ以降、日本史の教科書に登場する出来事は、すべてがつけたしでしかない。法隆寺も、奈良や平安の世界も、そしてこの平成の御世の現代日本ですら。

(……)王子が最後に落ち込む深いニヒリズムと孤独は、そのまま今の日本を色濃く染め上げている病でもある

(……)男たちには、自分を包む孤独すら見えていない。だがそうした男たち、女たちが、幾世紀をかけて今の日本を築き上げてきたのだ。

CUT 1994.04 Book Review / ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。 ※ 強調筆者

「日出処の天子」読んだだけでは、山形浩生の書評におけるこの壮大な射程については理解できなかった。「ベルサイユのばら」を経て少し理解できたような気はする。かくて歴史上の人物たちの奮闘により(勿論、数多の問題はあるけれど)傷つきにくい社会、は目出度く誕生した。それはもしかしたら、「私」が欠落した人々による、虚しい代償行為「公」の営み、つけたし、程度のこととして。しかしこの、良く出来た傷つかない社会をしても、「私」の運命を突如として不合理に左右する天災や事故と、制御も予想も理解できない誰かの「私」が暴走するテロだけは防ぐことはできない。


不意にこの構図を確認することになり、今夏、思わず深いダメージを受けてしまった。いや、この構図自体は従前より認識していたのだけれど、僕が採用したのは「公」こそに重きを置く方だった。それだって、別に進んで選び取ったわけじゃない。様々な経緯と屈折によって、時間をかけて折り合い、ようやく持たざることについては諦めをつけて、そうした中でも持ち得ることについて、僅かながら選んできたもの。それは例えば、芸術や文化を通じて、感性と理知により世界と交流すること、その手立てを創意工夫すること。その背景にある倫理を考察すること。稚拙ながらでも、それならば、できなくもないし、とても大切なことではある。偶然でなく、自分の意思ひとつでできるからこそ、と。そうしたここに至るまでの苦しみも、結果としては必要な営みだった、として一種の美化までなされている(その挙句が、高校の時分より用いる「握微」という名前である)。

が、そうして慎重に切り分けた一切合財も、区分を変えれば所詮は「公」の領域に含まれる、無意味な代償行為に過ぎない、ということか。これが人生の約半分を費やした後で、ようやく気付いたことである。何が間違っていたのか。いや、だから間違えるも間違えないも何も無い、というのが、私の内にあって私ではどうしようもない「私」の領域である。勿論、寝しなに読んだ「ベルばら」一冊だけで、突如この境地に至ったというわけでは無いのだけれど。

のりこし

先ずはこちらの写真を御覧下さい。

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これは大阪駅の改札付近にある「のりこし精算機」です。堂々とした「のりこし精算機」の青い看板が目立ちます。さすが日曜日の夕方ともあって、行列が出来ていますが、充実の2台体制。勿論、駅改札口は他にも複数あり、当然、のりこし精算機はこれ以外も多数あります。

いや素晴らしい。駅によってはのりこし精算機の位置が微妙で、わかりにくかったりする。改札の直前まで来て、のりこし精算機何処!ってなって、そっちかいやと、わざわざ引き返せねばならなかったり。そういう時は、もっと目立つ看板でも置いて! と思う。のりこし精算機、とても大切なんだから。

そういえば、ちょっと前から、ICカードで10円単位でチャージができるようになり、のりこし精算がスムーズになった(のりこし精算というより、のりこした分だけチャージですが)。ソフトウェアも進化している。以前は、折角ICカードで乗っているのに、乗り越したら、別途、出場のためだけの精算券が発行されたりしたのだった。余計なゴミは出ないし、素晴らしい。

この看板を見て思ったんだけど、のりこし精算機のこと英語で「Fare Adjustment」と言うのか。ふーん。アドジャストメント……きっちりする、って感じか? 海外に行った時のために覚えておこうっと。

ふむ。

……あれ?

小さい頃、のりこし精算機の意味がわからなかった。

いや、意味はすぐわかった。

「あれは何?」「のりこし精算機」「なにそれ」「のりこした時に精算する機械」「のりこし?」「買った切符よりも、乗り越した時に差額を払うの」「……何で、最初から切符を買わないの」

そりゃ確かに、そういうことあるかもしれない。乗っている途中で気が変わって、もっと遠くへ行こうとしたり。うっかり乗り過ごして、まあいいか、ここで降りる、となった場合。

でも何で、そういうイレギュラーな事態のために、そんな大層な機械が用意されているのか。わからない。しかも、かなり重要なものとして、目立つ位置に設置され、大きく案内されている。そして多くの人が、実際にのりこし精算機を利用する。

勿論、今はわかる。のりこし精算機の、意味や機能だけでなく、その位置付けと、運用の実際。と言うか、僕は毎回といっていいほどのりこし精算機を利用する。券売機より利用する。

のりこし精算機についてはわかった。しかし、世の中には「こういうこと」が結構ある。本質から、ズレているようで、実際的には重要なことが。券売機が重要なのはわかるけど、のりこし精算機が重要ってのは……。それについて、何故そこが重要なの、と問うても、そっち側の人にとっては当たり前過ぎて、疑問に思うこと自体が想定されない。「いや、のりこししたら精算が必要でしょ?」と。

そういう事態に直面した時、いつも咄嗟に例えが出ずにいるので、今日ふと、のりこし精算しながら思い出し、メモする次第。つまり、時に概念が「のりこし精算」を必要とするわけだ。

追記

この記事を書いた後に思いついたのは「棚卸」。以前いた職場の場合、これは全職員が取り掛かる年度末の一大イベントだった。棚卸前は社内の空気がピリピリし、役割分担や手順を記した書類が配布される。その冒頭には「棚卸は当社の最重要業務のひとつです」と書かれてある。

で、棚卸とは何か。「ある時点の社内にある在庫をかぞえる」。いちにーさんし、っと。基本、そんだけ。製品を企画するでも製造するでも販売するでもなく、単に数える。うーん? たなおろし、って訓読みだし……。

まあ、在庫金額が重要なのはわかります。でも、それって、仕入れから売上引けば自ずと理論値は判明するような。誤差は発生するだろうけれど、そんなん数えたって発生するし。最重要業務にしては、やることシンプルで、手間のわりに誤差修正とは……。

勿論、今はわかる(いや、実はあんまりわかんないけど)。わかりつつ、何か概念がのりこししている事例のひとつという気もします。でも、よくわかっているほど、別になんでもなく感じるかもしれない。

他にあったら教えてください。

様々なものの行方

何かを始めるのに遅すぎることはない、とは思うけれど、この年齢になると、最初からその終わりについて想像を巡らせないわけにはいかない。もう幾つかの終わりを経験したのだから。そう思うと、何かを新しく始めることに、少し躊躇する。

既に終わってしまったそれら、は結局のところ、何だったのだろう、と思う。勿論、如何なるものにも終わりがある。問題はその終わり方か。いや、例えみっともない終わり方だとしても、終わった後に後悔を経て忘却されたとしても、その「最中」に少しでも意味があったのなら、始めた甲斐はあったのだろう、というか、それが全てではないか、とも。それに、始めなくては、そも何も無い。けれど、終わりが、その過去である今現在も塗り替えてしまうような感覚に恐れる。

(この記事を最初に掲載した)「余所見」も、既に終了した代物だ。このように書き込み可能なウェブサイトは残って、主宰者がドメインの維持にお金を支払い続け、つい先日も不具合のメンテナンスがあったけれど。まあ、元はウェブも活動の一角という位置づけだったので、当初の目論見からは外れ、終了している。

こうした終わり方は決して想定外だった、というわけではない。終わりについて想像すれば、高い確率で頓挫はあり得ることだと簡単に想像できる。けれど、これについては始めた頃は、如何なる終わりについてもそも考えが及ぶことは無かった。今から約7年前のこと。

僕は思春期の頃よりずっと芸術が最大の関心ごとなので「芸術、芸術ー」とばかり言ってこの年齢まで過ごしてきた。今この瞬間死ぬなら、「む……芸術」と考えて死ぬだろう。ただこの先、生活が困窮し、更に年をとって、日々に精一杯となり、その中でもそれなりの幸せや楽しみを見つけ、押し寄せる細やかな問題に対処し続け、やがて「芸術、芸術ー」といっていた気楽な期間よりも長く切実な日々を過ごしたとなると、死の間際、芸術のことを思い出すだろうか。その時には、「芸術、芸術ー」という思い自体が、そんなこともあったっけかな、遠い若い頃の何やかんや、と一緒くた、老いた今となっては、だけでなく、人生を通じて別に大したことでもなかった、と思うかもしれない。結局のところ、そういう風に終わってしまうなら(その確率はすごく高い)、この今だって、何のために考えているのだろうか。

最近は折りに触れ、「様々なものの行方」というフレーズが浮かび上がってくる。どこから来て、いや、来歴は問わない、それは既に通りかかったのだから、しかし一体、どこへ行く?

未来は、未だ来ていない、わけではない。それは「必ずやって来る」と既に決まっている。なら、未来というものは既に決まりきった過去の出来事と割り切った方が良い。

そう考えると、始めよりも、過程よりも、それがどう終わるのか、どのように着地したのか、が一番の興味となってくる。

これは勿論、組んだバンドが花咲かず解散して今はトラック運転手で家族もいて幸せです、といった話だけではない。そこかしこで行われている議論など、激しく言い争っていたあの二人は結局どうなったんだろう、と懐かしく思って調べたら、別にどうにもなっていなかった、というような。


今ここで終わるくらいなら、そもそも何故始めた?

これはアメリカ同時多発テロに至るアルカイダとアメリカの動向を追った本「倒壊する巨塔」(ローレンス・ライト、白水社)にでてくるセリフ。アイマン・ザワヒリがアルカイダ内で意見が分かれるなか放った言葉として登場するけれど、この部分は著者の創作だろう。止まれない原理主義者を表していて、劇的にはなかなか格好良い一節。劇のフライヤーに引用した。

取り敢えず、ではあるが「終わらせない」ということは僕の方法論の一つとしてある。継続は力なり、という話ではなく。

最も嫌なのは、ただ終わるだけでなく、「卒業した」などと称して、終わりを誤魔化すためにわざわざ砂をかけるような態度だ。

いや、「次へ進むために終わりにする」という潔い態度にしても。何故、それを終わらせるのか。やはりそれも、続けることを女々しさと貶める。嘘でも、続けておけば、続く。

中学生の頃に作ったゲームサークル「デイターク」は、転校後に知り合った人達と別途結成した「エルドリンクス」と後に合併し「游演工房」となった。これは今でも劇団で公演活動する際は、制作の名義として使用している(実際に、稽古場を借りる時も登録したこの名義を使用する)。

今でもファミコンで遊ぶ。週刊少年ジャンプを読む。FM-TOWNSのエミュレーターを走らせる。山本正之を聴き続ける。更新される限りは読み始めたウェブログの類を読み続ける。実際にゲームを遊ぶ機会は少なくなったけれど、ゲームについて楽しく考える。この余所見にも投稿する。

……まあ、これはただの超保守的・懐古的な考え方なだけとも言える。後ろ向き。ある種の傾向に見受けられる、こだわり行動に過ぎない気もする。というか単に、何時までたっても子供じみている。子供の頃、大人ぶって過去を切り捨てる人々が嫌だったから、ああはなるまい、と実際に実践すると、このていたらく。

ともあれ過去ばかりをひたすら引きずって、新しいことに興味が向きにくい。


本好きの女性四人が発行するフリーペーパー「はちほんあし」今月の特集は「はまっているもの」だった。この特集、ものすごおく、何でも無い、複数人が執筆するフリーペーパーの特集としては大定番、第一号にだけ許されそうな、単にそれぞれの興味を述べる、ありきたりに思うけれど、なかなか面白いと思った。

これは語感から感じる勝手な定義だけれど「はまっている」のは正に今現在のことで、やがて醒める、飽きる、抜け出す、終わる、ことが最初から織り込み済み、なこと。生涯の仕事と信じることを「はまっている」とは言わないだろう(間違ってはいないかもだけど)。

こういうテーマが与えられたら、むしろ一瞬で醒めそうなものを選びたいぐらい。むしろ変わり種、変化球の特集とも。そう考えると、少し気が楽だ。何かをこれから始めるにあたっても。

僕が今ハマっているのは(そしてもうすぐ醒めるのが)「カスターニャtanatan!!」という新婚夫婦漫才師。ネクタイの代わりにカスタネットがついた衣装を着て、なんでやねん、と突っ込むたびに、タン! と鳴る……いやそんなバカな、と童話の世界から出てきたような可愛らしさ。ネタも「中華料理屋ですべって転んだ!」とか「ヘソクリが旦那にばれた!」など、ほんわかふわふわ平和的なもの。妻のたまちぇる(という芸名)は、容姿端麗とてもキュートでありながら、謎の人妻感がにじみ出、MCではよく「ホンマに夫婦なん?」と言われるけれど、一瞬で納得させられる。

単に愛らしいだけでなく。NSCを卒業したて、芸歴、夫婦歴とも一年未満の超若手ながら、完成度が高い。ネタが爆発的に面白いわけでは決してないけれど、世界観が完結して淀みが無い(実はネタ全体が一曲のカスタネット演奏として全体を制御されていることもあるだろう)。確信をもってやっている、といった感じ。というか、NSCを卒業してもコンビを組んでは解消し、が珍しくない若手芸人において、迷いが無さ過ぎる、結婚という大いなる初手。試行錯誤する気なし(そもそも、若手の多くはやがて消えて行く)。そのせいか、既に複数のコンテストで好成績を収めたりと、テレビ出演など引き合いも多い(これ観るためにワンセグの受信できる場所を探し深夜の街を彷徨った)。お昼の番組リポーターとしてとても使いやすそう。戦略的ですらある。

単純に、はまっているもの、を時には気軽に示して終わりにしようと思ったけれど、ここまで書いて、カスターニャtantan!!の魅力は、若手なのに安易に「終わり」を感じさせないところにあるのか、と思いました。

アートの時間だぜベイベー

タカハシ‘タカカーン’セイジ個展「やってみたかったことを売ります買います展」へ行った(以下、売買展と略す)。事前にSNS等に流れていた関連テキストを読みつつ、当たりをつけつつ、職場帰りに寄った。他に客が一人「やってみたかったこと」を売買交渉をしていて、僕は展示だけを観て、去った。

やってみたかったことを売ります買います展

滞在時間は短かったが、面白かった。テメエの話になるけれど、僕の「運動展」とあまり変わらない(なので、面白いという他は無い)。ある種類の、一掴み程度の、思念が書かれたテキストの展示。運動展の場合は、単に「僕が面白いと思うこと」が掲示されている。売買展はもう少し凝っていて、タイトル通りのコンセプトのもと、「やってみたかったこと」という思念は実際に売買された契約書の体裁で書かれている(なので、契約書独特の文法やリズムが効いている)。書かれている思念が、実現性とは一旦、無関係な点も共通している。どちらも「個展」であることが、思念を引き出す動機付けになっているが、売買展の方が、更に金銭を介す体裁をとることで、作家又は来場者の思念を引き出す仕組みとなっているので、こちらの方が美術的な企みに満ちている、とも云える(故にこそタカハシさんの方は良くも悪くもごく普通のあってきたる美術で、ギャラリーが当初期待した?枠組みを問いかけたり揺るがすようにはなっていない。片や俺様の運動展は普通であるが故に美術という枠組みを揺さぶる傑作となっている)。また、明快でもあるし、詩的な余白もある。加えて契約書に添えられたレシート、コンビニで契約書をコピーした際に生じるものだが、一見内容と無関係ながら、アナログな手書き契約のタイムスタンプをデジタルなレベルで果たし、この使い方は造形的な見た目も含めて秀逸だと思う。

あるコンセプトのもと生成された契約書を美術となす作品自体は既に多数ある。と言いつつ的確な例を挙げられないが、先ず想起したのは「隣の部屋~日本と韓国の作家たち」(国立新美術館,2015年)における韓国人アーティスト、イ・ウォノの「浮不動産」というインスタレーション。展示場に入ると先ず目にするのはシンプルだが巨大なダンボールハウス。ここに入って通り抜けると、展示場壁面には額装された契約書が多数掲示されているのが見える。脇にはモニターがあり、アーティストがホームレスと交渉し、ダンボールを買い取ろうとする様子の記録が放映されている。先ほど入ったダンボールハウスは、日韓のホームレスが実際に「家」として使用したダンボールを買い集めて再構成したものだとわかる。面白いのは映像中、困窮しているだろう多くのホームレスが、お金は別にいいよ、と譲ろうとするところ。それでは作品が成立しないので、その家に、それを集めるために費やされた労働に対してお金を支払う、と説得する作家。また当初「ダンボールが欲しいならあそこで手に入る」と教えてくれたが「ああ飽くまで家として使用されたダンボールが欲しいわけか」と、抽象的なコンセプトに歩み寄ろうとしてくれるホームレスなど。ともあれ、本作において、こうして出来上がった巨大なダンボールハウスもさることながら、契約書が重要であることは言うまでもない。契約は、国立新美術館の名義が記され、ひいては国が税金で購入したことになり、ホームレスは美術史に組み込まれる。

さて、売買展は面白いが、幾つかの粗はある。第一に、氏は音楽を軸にライブやパフォーマンスをやってきて、今回、美術に沿うにあたり「ものとして残る」点に着目したと、どこかで書いていた。なるほろだけど、今回の作品もまた殆どがパフォーマンスだ。その行程は間違っていないけど、展示はその先にあった方が良い(その際、売買時の映像も添えれば尚、今時の美術っぽくなるでしょう)。勿論「その制作過程を作品として展示しているのだ」でも良いんだけれど、前述のような意図があるのであれば、展示の位置づけをそうした方がお互い良いのではと思った。会期の最後に「総括」のトークイベントがあったと思うが、普通は「総括」したものを展示するのである。

(話は逸れるが過日、某アートNPOのイベントで、そこは各種で行われるアートイベントの映像記録を業務の一つとしているけれど、それについて客席から「記録の活用は為されているのか」と質問があった。これに対しNPO側は「今すぐ活用されることを目的に記録しているのではなく、何十年後かのために記録している(勿論、現在の活用にも効率良く供されることは大事だという前提で)」と応えた。アーカーイヴに関する理想的な答ではあるが、僕はザッと以下のことを考えた。アートにおける映像アーカイヴの勘所は「記録の対象となる」ことで「記録される程のことである」と周囲に知らしめ、対象自体を権威付ける、という点だろう。その後の活用は三日後だろうが三十年後だろうがあまり関係はない。記録されている「さま」こそ重要で、極端な話、カメラマンとカメラがあればテープは無くても構わない。何が言いたいのかと言うと、パフォーマンスでもモノでも、残らないものは残らない。次から次へと目移りする現代において、アーカイヴを参照する余裕など普通は無く、だとしたらその瞬間をより強く印象づける方が良い)

第二に、第一と関連するが、肝心のテキストが少ない。展示終了前日で数件程度なのだから、況やをやをや。売買ということで、この個展はある種の小売店を開店するようなものだが、まるで見通しの甘いただの読書好きが立ち上げた古書店のよう。店を開けば在庫は捌け、魅力的な本が多数買取りされるような。その志は認めるとしても、そこはもう少し、各種の技術を駆使して在庫にせよ買取にせよ豊富になるよう仕向ける必要があるだろう。例えば、先ずは作家が販売用に「やりたかったこと」を多数羅列しておくとか。

そして一番まずいのは、ギャラリー側との不和を開示してしまった点だろう。デュシャンが便器を展示してから早百年、個展と称して例え何もしなくても充分成り立ってしまうほど(寧ろ気が利いた展示だと云える)、現代美術は既に倒錯してくれているのに、比較的コンセプトも明確なこの展示で、画廊における責任だの意義だの云々しょうもない話を表に出すことは無い。そもそもどこに問題なのかよくわからない。

この件については、議論がまとめられているフェイスブックのページがログインしないと参照できないようなので、別途ばらばらに引用されているテキストを追うのみであるが、まあ、ギャラリストが端的に悪い。内部的にどちらが良い悪いか別として、最終的な責任はこの場合、主催のギャラリー側にある。展示はそのギャラリーで実際に行われているのだから。ギャラリー側が「単にギャラリーの見る目が無かったのかもしれません」とコメントを出したように、話はそれで終わる(複眼なのに目が無いとはこれ如何に)。そのお祖末な見る目を飲み込んで、結局のところどう落とし込んで行くか(不和を開示するぐらいなら中止の方がマシだろう。そして中止を背負い込めばいい。作家ではなくギャラリー側が展示をしながらこうして不和を唱える構図は他に見たことが無い。勿論、独特で良いという意味はなく、筋が通っていないからだ。どちらが領収書を発行するかという戸惑いに似る)。

それを前提とした上で敢えて外野が内部事情を覗き込み、タカハシ氏について思うのは、勿体無い、ということ。僕はタカハシさんをよく知るわけではないが、才能溢れる人だと思う。でも、それを真正面から発揮せず、また引き受けず、パフォーマンス(アサダワタル)、音楽(米子匡司)、演劇(岸井大輔)、文藝(仲俣暁生)、と各ジャンルで既に実績を持つ人物と次々に交流・対談するなどして、本人は常におどけて見せるのが主な芸風となっている。

彼に直接・間接的に影響を与えたであろう少し年上の界隈の人間、アサダワタルとか蛇谷りえとか米子匡司とか岩淵拓郎とか、の立ち振る舞い、日常再編集だとか町の道具だとかメディアピクニックだとか一般批評だとかうかぶだのしずむだのひらがな数文字で名付けるセンスとか、を真に受けて、こういう作風になったのだろう。彼奴等界隈の背景には技術も戦略も文脈も歴史あり極めてしたたかなのだが、なるたけそれを表に出さず無邪気無垢な一小市民として世間と対峙するのが共通したルールとなっている。これを表面だけ真似て、裸一貫、自分の素朴な感性のみを「信仰」し、しかもその文法は肯定文でも否定文でもなく、主に疑問文によって構成される。

僕如きからでも氏に届くよう罵倒語を慎重に選ぶなら、氏の芸風は(あんまりこういう言葉は使いたくないが)「赤ちゃんプレイ」と似る。常に「ママ」役を対置させ、自らはバブーと洒落込んでみせる。ママは、それに対してヨチヨチとあやしてみたり、時にめっ!と叱ってみせ、周囲はそれを暖かく微笑ましく見守る。赤ちゃんは時々、赤ちゃんであるが故にママや周囲の大人をひやりとさせる言動を放つ。こうした赤ちゃんの振る舞いから大人もまた多くのことを学ぶのも確かだ。しかし、それは本当の赤ちゃんから学べばいい。赤ちゃんプレイも時には良いだろうが、それは閉ざされた空間でやるべきで、周囲から眺めて気持ちの良いものではない。悪趣味な見世物に過ぎない。

今回の敗因は、ママ役のギャラリストが既にリアルなママだったせいか、何時もの甘えが通用しなかったことに尽きるだろう。

僕が最も嫌なのは、「この展覧会を、いつでも中止してやるぞ」というトリガーを、僕のこめかみに銃口を当てたまま脅すような言動や態度とは穏やかでないけれど、アーティストの戦いは普通、そこから始まる。ベイベー。

2017年追記

タカハシ氏はその後も精力的に活動、この展示が1年前のこととは思えないほど、大小多数のプロジェクトを展開している。特に今現在は、千島財団の助成を受けた、下記プロジェクトが中心軸の模様。

「芸術と福祉」分野をレクリエーションから編み直すプロジェクト(仮題)

ただ印象としては、上記プロジェクトの概要に見られる通り、自身の素朴な感性を、先行活躍する既存の固有名詞群と対置させる、といった赤ちゃんプレイ方針は変わらない模様。

個人的にその手法については、気持ち悪い、とは思うのだけれど、実際に有効なのかはよくわからない。なので、今後の成果を見守りたいところ。

「焼肉ドラゴン」(店は継がない)

新国立劇場制作の舞台「焼肉ドラゴン」(作・演出:鄭義信)を観た。数年前、初演が読売演劇賞を受賞したという新聞記事を読んだことと、題名のインパクトで覚えていて、今回、再々演ということで観に行くことにした。また、たまたま今現在「社会的・政治的問題を背景とする作品」に意識的に興味を向けていて(自発的に興味津々というわけではないが)先日観た青年団の「冒険王」「新冒険王」(特に新冒険王には韓国人俳優が多数出て来る)に続けて、丁度良かった。

焼肉ドラゴン – Wikipedia

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※ 画像は新国立劇場のもの

久しぶりにごく普通の演劇を観た気がした。俳優は大袈裟に喋り、動き、わざとらしいギャグを定期的に入れて、暗転で時間は経過し、雰囲気を盛り上げるBGMが流れ、二幕で途中休憩もあり、ラストは桜吹雪が舞い落ちる。

普通過ぎる劇だ……と、言いつつ、その終幕ではぼんろぼんろ泣いた。

ただ、ちょっと戯曲に納得行かないことがあるので、それをここに記しておく。

家族の末っ子である時生の扱いだ。血縁が少しづつ重なり合う家族で、再婚者同士の唯一の子供。彼は中学生で私立の進学校に通っているが、在日であることを理由に激しいいじめに遭って失語症になり、殆ど不登校状態にある。劇中、彼は店の隣にある物置小屋のトタン屋根にのぼり、そこを自分の居場所として町の喧噪を見渡している。周囲の登場人物に公立への転校を薦められたりもするが、父は頑に進学校へ通わせようとする。

劇の中盤、父が同席する学校の三者面談で、中学留年がほぼ決定だと告げられる。それでも父は、母の反対も押し切って引き続き進学校へ通わせようとする。追いつめられた時生は、普段通り物置小屋の屋根に上がり、そして、身を投げる。

戦争で左腕を失い、四・三事件で家族を失い、渡った日本で困窮に耐え家族を養う、しかしそれを無闇に嘆かず、寡黙に淡々と生きるこの父が、こうも息子の進学校に拘る……その気持ちはよくわかる。同じく貧しい他の登場人物たちが高度経済成長を揶揄して語る中、しかし一人息子にはこの日本の、その流れに沿って安定して生活して欲しいことへの願い。

しかし、それが時生を追いつめた。そして彼の人生は若くして終わってしまった。その時点で。あまりにも早すぎる死。

そこまでは(物語の展開として)良いとして、この戯曲で不満なのは、その時生が、この集落に対するノスタルジーを語ることだ。失語症である時生が長科白を話すのは、劇中の会話ではなく客席に向けた語りとしての言葉で、冒頭と、ラストの主に2回。時生が、いわばこの作品の鍵括弧を、開いて、閉じる。最後の最後、家族が離散していき、夫婦もまた長年過ごした地を去る際、時生は物置小屋の屋根の上で力一杯手を振って両親を送り出す。

……時生が、いじめられつつも何とか生きてさえいれば、それが美化であれノスタルジーであれ、ここでの日々もそうして思い出すことが出来たかもしれない。でも、時生は失意の最中、自らの命を絶った。家族を恨んでいてもおかしくない状況。そこまででは無い、としても、この町に対し、思い出を美化する時間すら無かったはずだ。

劇の中心は、三人姉妹とろくでもない男たちの、割合どろどろした恋愛模様に割かれ、時生は目立たないばかりか、そこにはあまり関わることもない。時生についてはあまり語られることも無いまま、中盤に自殺し、それも暗転が過ぎれば再び姉妹のドタバタ物語に舞い戻る。せめて、もう少し時生について描写があれば、と思う。

……と、書きつつ、でもまあ、思い出しても涙が出てくる。特に最後の最後、父がリヤカーで坂道を一気に上るシーン。あれは、本当、すごく良い意味で「演劇的」だと思った。唐十郎のテント芝居のラスト、テントが開いて外の世界を借景し、というのはお約束で、物語上、テントが開く必然性は無い(と思う)。あのシーンも、プロット的に言えば、最後のちょっとしたギャグのため、母が突如リヤカーに荷物とともに乗り込んで、幾らなんでも右腕しかない老いた父に自分ごとリヤカーをひかせる、ってのはあんまりだ。……と思ったけれど、あそこで父が気合い一閃、リヤカーで駆け上っていく幕切れは、一度は想像した「そのまましんみり去っていく」情景を完全に書き換えて、ああ、終わった、この作品における「終わり」は、演劇に必要な、そして結局は全てを象徴することになる「閉幕」はこれだった、と納得する。あの、寡黙な父の気合い一閃こそが、この劇の全てであったと。「物語」が物語らしく終わるのではなく、(物語のバランスを多少崩しても)ちゃんと「演劇」として終わる。

それだけに、時生を失ったことは本当に悲しいし、それもまた人生、というには辛い。

何より、それもまた人生、と時生自身に語らせるのは(そう直接語っているわけじゃないけど)惜しい。

そもそも「語らせる」こと自体が、現代口語演劇でなくとも悪手だろう。この劇は、すんなり人情劇とはいかない皮肉が多数ある。三人姉妹たちは、ドタバタの末、ろくでもない男たちと結ばれて、恐らくは悲惨な未来が待ち受けていることがわかる。観客は素直に気持ちを落ち着かせることができない。それがこの芝居の良いところでもあるのに、何処かで「それもまた人生」と登場人物が語り、音楽が鳴ることにより、そのうやむやが処理されて「その程度のこと」に留まってしまう。

と、話は欠点に向いてしまうが、後は……三女役の俳優(チョン・ヘソン)が良かったね(きっと観た人はみんなそう思っていることでしょう)。舞台上をくるくる跳ね回り、遠目もあって、漫画のキャラクターみたいだった(浦安鉄筋家族に出てきそう)。特に「歌手になりたい!」と駄々をこねるシーンは良かった。と言うか、流暢な日本語で韓国の俳優とは思わなかった。役的にも、一家の中で一番流暢に日本語と英語を喋ることができる。格好良いー!

そうそう、この劇の魅力は何と言っても、日本語と韓国語が入り交じるところ。字幕に慣れると「やっぱり僕、韓国語も結構わかるんや」と誤解してくる。青年団の「新冒険王」も多言語が入り乱れるが、舞台からして「焼肉ドラゴン」はより日常の話で、日本語話者、韓国語話者、に分かれず、同じ人間が「使い分ける」感覚が強い。

蛇足だが、この劇について、私的な所見。

実家が中華料理屋だと言うと、よく「継げへんの?」と聞かれる。今では聞き慣れたが、当初は、え? なんで? と思った。父に「継げ」と言われたことも無いし「継ぎたい」と言ったことも無い。特に昔はそんなこと、そもそも思いにも寄らなかった。

当家は、祖父の代から中華料理屋で、日本に渡った父も同じ屋号で店を出したが、多分、継ぐ、という感覚は無かったように思う。そして元を辿れば祖父も「念願の中華料理屋を開業」したわけではない。この劇にも明らかなように、ある種の飲食店というのは、故郷から逃れた人が、生きる手段として開業するもの。

僕の父自身も、本当は電気屋をしたかった、と時折言う。電気屋とは抽象的だが、要するにコンピューター関係のことらしい。ポケコン、マイコン時代から趣味で触って、おかげで僕も小学生の頃に父からBASICの基礎の基礎を教わることができ、同世代では早くからネットワークを体験することが出来た(最低限のことだが、今に至るまで役立っている)。父はきっと若い頃コンピューターに触れて興味を持ち、やがて来るIT革命に何らかの形で乗りたかったに違いない。でも、そういうわけには行かず、日本で中華料理屋を開業し、一家を養うことになった。ともあれ、息子である僕には、こんな身体を酷使する飲食店でなく、ごく普通のホワイトカラーになってほしかったはずだ。僕も、中華料理屋になりたいとは思わなかった(勿論、継ぐのは嫌だとか、そういうドラマ的な展開もなく、考えることすら無かった)。

ということで「焼肉ドラゴン」において父が時生に抱く教育への思いは、本当によくわかります。今度「何で家継げへんの?」と聞かれたら「まず「焼肉ドラゴン」って芝居を観てくれ……(約3時間後)……観た? これ父が息子に、俺の店「焼肉ドラゴン」その秘伝の味を継げ!……って話じゃ、全然無いでしょ」と答えよう。演劇だからわかりやすいでしょう。

とは言え……例えば長年の修行を経て独立して、又はサラリーマンが脱サラして、念願の店を構えて一国一城の主、としての「飲食店」もあるわけで……。その辺、不思議な気はするね。

差異と同一

自分で何か考えたり、或は他人と議論したりするときに「差異」と「同一」の概念を駆使することがよくある。

「それとこれとは全く違うこと」というのが差異で、「それとこれとは全く一緒のこと」が同一だ(ですよね?)。差異も同一も、普通はそこにただ認められるだけ、なのだけれど、考えごと次第によっては「差異である」「同一である」という見地が、時に思考や議論を大幅に加速させる。

その加速度の高さ故、特に議論においては事故も起こりやすい。そもそも「差異である」という意見は同一に対して反旗を翻すわけだし、「同一である」という意見は差異に対する通り魔なわけだ。

当たり前のことつらつらと書いているけれど、そもそもそういうことあるよね、とただ認識することによって、事故を減らそう、という目論見(余所見じゃないな)。

差異。これはよくある。同一よりも差異を見出す方が寧ろ思考として一般的か。多分、昔々は、ぼけーっと世界があって、全てが同一であったろう。ある日、太陽と月は違う、肉と麦は違う、自分と他人は違う、と次々と差異を見出していった、のだろう。差異を発見することは、思考のごく基本的なところであり、そして実際、全てに差異はある。

同一。差異の方が話としては多いかもしれないが、同一もまた重要だ。同一性を見出せば、参照できる事例が広がる。差異に拘り複雑化して袋小路、こういう時「同一」を見出すことが光明になる。どんなものにも差異を見出せるからこそ「同一」もまた知的でもあり勇気である。

例えば、おにぎり、と、おむすび、がある。おにぎりとおむすびは違うよ、三角なのがおにぎりで、地域によっても呼び名が云々。これが差異で、そういう議論はまあ楽しい。でも、おにぎりのことをおむすびと呼んだ人に対し「それは違う!」と非難するようになると、まあまあ、おにぎりもおむすびも、あれのことでしょ、となる。

芸術作品の批評はどうか。このタッチが、他と較べて実はちょっと違うわけでしょ、それが良いんだよ深いんだよ、てな具合で、こちらも差異が大活躍する。一方で、批評は先行作品との関連性を指摘していくわけだから、同一も大活躍。この作品の構造は、古典的な作品と実は同じである云々。むしろこっちが学術的だし、スリリングかもしれない。

どちらが良いことか、は勿論、状況によって異なる……だけでなく、困ったことに同じ状況下で同じ対象でも(そして時には同じ人でも)「そこに(敢えて)差異/同一を認める」ことがあり得る。

なので、あんまり差異をもって同一をけなし、同一をもって差異をけなす、ということはやめた方がいいですよね。自分の好きなことや詳しいことには幾らでも差異を見出せるし、そうでなければ同じに見える。そういうは個人差に過ぎないし、同じ人にとっても、どれだけ目を凝らすか、ぼやかせるか、のこと。バランスの問題とも似ている。

でも現状、差異と同一の判定を自らの拠点として議論を進めるパターンが多いように思います。


「言葉の暴力」という言い回しがある。言葉、の、暴力。それは、言葉の中では暴力に位置する、ということなのか、暴力そのものになった言葉なのか。

例えば、酷い悪口を言って、言われた人や回りの人が「それは言葉の暴力だ!」と非難する。それは、言葉の中でも特に酷いこといって傷つけたよ、ということなのか、本当にぶん殴られるのと同じダメージを与えたのか。

……「ぶん殴られるのと同じダメージを与えたのだ。 言葉の暴力を用いるってのはそういうことだ」……それは、ホントのホントに拳でぶん殴られるあの暴力と「同一」なのか。血が滲み、目が眩む、そして何より「痛い」……痛い痛い、あの肉体の痛さ、苦しさ。それと同一なのか?

高校生の頃、人権団体の研修で、被差別部落出身の人が「差別の言葉を投げつけられること。それはたとえ言葉でも、とんかちで殴られたように痛い」と言っていた。その真実性は一旦保留しつつ、僕は(折角「研修」という場で聞いたので)その「同一」を敢えて信じることにした。言葉は時に、暴力に匹敵する。言葉でさえそうなのだから様々なことは暴力になり得る……。ならば、暴力的な様々なことに抵抗するため、時に黙って暴力を振るう、振るわれることも、それほど無茶苦茶な話ではない。