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「焼肉ドラゴン」(店は継がない)

新国立劇場制作の舞台「焼肉ドラゴン」(作・演出:鄭義信)を観た。数年前、初演が読売演劇賞を受賞したという新聞記事を読んだことと、題名のインパクトで覚えていて、今回、再々演ということで観に行くことにした。また、たまたま今現在「社会的・政治的問題を背景とする作品」に意識的に興味を向けていて(自発的に興味津々というわけではないが)先日観た青年団の「冒険王」「新冒険王」(特に新冒険王には韓国人俳優が多数出て来る)に続けて、丁度良かった。

焼肉ドラゴン – Wikipedia

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※ 画像は新国立劇場のもの

久しぶりにごく普通の演劇を観た気がした。俳優は大袈裟に喋り、動き、わざとらしいギャグを定期的に入れて、暗転で時間は経過し、雰囲気を盛り上げるBGMが流れ、二幕で途中休憩もあり、ラストは桜吹雪が舞い落ちる。

普通過ぎる劇だ……と、言いつつ、その終幕ではぼんろぼんろ泣いた。

ただ、ちょっと戯曲に納得行かないことがあるので、それをここに記しておく。

家族の末っ子である時生の扱いだ。血縁が少しづつ重なり合う家族で、再婚者同士の唯一の子供。彼は中学生で私立の進学校に通っているが、在日であることを理由に激しいいじめに遭って失語症になり、殆ど不登校状態にある。劇中、彼は店の隣にある物置小屋のトタン屋根にのぼり、そこを自分の居場所として町の喧噪を見渡している。周囲の登場人物に公立への転校を薦められたりもするが、父は頑に進学校へ通わせようとする。

劇の中盤、父が同席する学校の三者面談で、中学留年がほぼ決定だと告げられる。それでも父は、母の反対も押し切って引き続き進学校へ通わせようとする。追いつめられた時生は、普段通り物置小屋の屋根に上がり、そして、身を投げる。

戦争で左腕を失い、四・三事件で家族を失い、渡った日本で困窮に耐え家族を養う、しかしそれを無闇に嘆かず、寡黙に淡々と生きるこの父が、こうも息子の進学校に拘る……その気持ちはよくわかる。同じく貧しい他の登場人物たちが高度経済成長を揶揄して語る中、しかし一人息子にはこの日本の、その流れに沿って安定して生活して欲しいことへの願い。

しかし、それが時生を追いつめた。そして彼の人生は若くして終わってしまった。その時点で。あまりにも早すぎる死。

そこまでは(物語の展開として)良いとして、この戯曲で不満なのは、その時生が、この集落に対するノスタルジーを語ることだ。失語症である時生が長科白を話すのは、劇中の会話ではなく客席に向けた語りとしての言葉で、冒頭と、ラストの主に2回。時生が、いわばこの作品の鍵括弧を、開いて、閉じる。最後の最後、家族が離散していき、夫婦もまた長年過ごした地を去る際、時生は物置小屋の屋根の上で力一杯手を振って両親を送り出す。

……時生が、いじめられつつも何とか生きてさえいれば、それが美化であれノスタルジーであれ、ここでの日々もそうして思い出すことが出来たかもしれない。でも、時生は失意の最中、自らの命を絶った。家族を恨んでいてもおかしくない状況。そこまででは無い、としても、この町に対し、思い出を美化する時間すら無かったはずだ。

劇の中心は、三人姉妹とろくでもない男たちの、割合どろどろした恋愛模様に割かれ、時生は目立たないばかりか、そこにはあまり関わることもない。時生についてはあまり語られることも無いまま、中盤に自殺し、それも暗転が過ぎれば再び姉妹のドタバタ物語に舞い戻る。せめて、もう少し時生について描写があれば、と思う。

……と、書きつつ、でもまあ、思い出しても涙が出てくる。特に最後の最後、父がリヤカーで坂道を一気に上るシーン。あれは、本当、すごく良い意味で「演劇的」だと思った。唐十郎のテント芝居のラスト、テントが開いて外の世界を借景し、というのはお約束で、物語上、テントが開く必然性は無い(と思う)。あのシーンも、プロット的に言えば、最後のちょっとしたギャグのため、母が突如リヤカーに荷物とともに乗り込んで、幾らなんでも右腕しかない老いた父に自分ごとリヤカーをひかせる、ってのはあんまりだ。……と思ったけれど、あそこで父が気合い一閃、リヤカーで駆け上っていく幕切れは、一度は想像した「そのまましんみり去っていく」情景を完全に書き換えて、ああ、終わった、この作品における「終わり」は、演劇に必要な、そして結局は全てを象徴することになる「閉幕」はこれだった、と納得する。あの、寡黙な父の気合い一閃こそが、この劇の全てであったと。「物語」が物語らしく終わるのではなく、(物語のバランスを多少崩しても)ちゃんと「演劇」として終わる。

それだけに、時生を失ったことは本当に悲しいし、それもまた人生、というには辛い。

何より、それもまた人生、と時生自身に語らせるのは(そう直接語っているわけじゃないけど)惜しい。

そもそも「語らせる」こと自体が、現代口語演劇でなくとも悪手だろう。この劇は、すんなり人情劇とはいかない皮肉が多数ある。三人姉妹たちは、ドタバタの末、ろくでもない男たちと結ばれて、恐らくは悲惨な未来が待ち受けていることがわかる。観客は素直に気持ちを落ち着かせることができない。それがこの芝居の良いところでもあるのに、何処かで「それもまた人生」と登場人物が語り、音楽が鳴ることにより、そのうやむやが処理されて「その程度のこと」に留まってしまう。

と、話は欠点に向いてしまうが、後は……三女役の俳優(チョン・ヘソン)が良かったね(きっと観た人はみんなそう思っていることでしょう)。舞台上をくるくる跳ね回り、遠目もあって、漫画のキャラクターみたいだった(浦安鉄筋家族に出てきそう)。特に「歌手になりたい!」と駄々をこねるシーンは良かった。と言うか、流暢な日本語で韓国の俳優とは思わなかった。役的にも、一家の中で一番流暢に日本語と英語を喋ることができる。格好良いー!

そうそう、この劇の魅力は何と言っても、日本語と韓国語が入り交じるところ。字幕に慣れると「やっぱり僕、韓国語も結構わかるんや」と誤解してくる。青年団の「新冒険王」も多言語が入り乱れるが、舞台からして「焼肉ドラゴン」はより日常の話で、日本語話者、韓国語話者、に分かれず、同じ人間が「使い分ける」感覚が強い。

蛇足だが、この劇について、私的な所見。

実家が中華料理屋だと言うと、よく「継げへんの?」と聞かれる。今では聞き慣れたが、当初は、え? なんで? と思った。父に「継げ」と言われたことも無いし「継ぎたい」と言ったことも無い。特に昔はそんなこと、そもそも思いにも寄らなかった。

当家は、祖父の代から中華料理屋で、日本に渡った父も同じ屋号で店を出したが、多分、継ぐ、という感覚は無かったように思う。そして元を辿れば祖父も「念願の中華料理屋を開業」したわけではない。この劇にも明らかなように、ある種の飲食店というのは、故郷から逃れた人が、生きる手段として開業するもの。

僕の父自身も、本当は電気屋をしたかった、と時折言う。電気屋とは抽象的だが、要するにコンピューター関係のことらしい。ポケコン、マイコン時代から趣味で触って、おかげで僕も小学生の頃に父からBASICの基礎の基礎を教わることができ、同世代では早くからネットワークを体験することが出来た(最低限のことだが、今に至るまで役立っている)。父はきっと若い頃コンピューターに触れて興味を持ち、やがて来るIT革命に何らかの形で乗りたかったに違いない。でも、そういうわけには行かず、日本で中華料理屋を開業し、一家を養うことになった。ともあれ、息子である僕には、こんな身体を酷使する飲食店でなく、ごく普通のホワイトカラーになってほしかったはずだ。僕も、中華料理屋になりたいとは思わなかった(勿論、継ぐのは嫌だとか、そういうドラマ的な展開もなく、考えることすら無かった)。

ということで「焼肉ドラゴン」において父が時生に抱く教育への思いは、本当によくわかります。今度「何で家継げへんの?」と聞かれたら「まず「焼肉ドラゴン」って芝居を観てくれ……(約3時間後)……観た? これ父が息子に、俺の店「焼肉ドラゴン」その秘伝の味を継げ!……って話じゃ、全然無いでしょ」と答えよう。演劇だからわかりやすいでしょう。

とは言え……例えば長年の修行を経て独立して、又はサラリーマンが脱サラして、念願の店を構えて一国一城の主、としての「飲食店」もあるわけで……。その辺、不思議な気はするね。