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沈黙にファンファーレ

はっきりと意志を示し声を上げていくことが重要な問題や局面、は多い。また、取るに足らない自明のことであっても何処かでちゃんと明言しておくことは、暗黙の了解を求められることが多い中で、誰かを助けることになるかもしれないし(ちょうちょむすびのやりかたとか)、複雑化する物事の中で確認や整理など自分にとっても役に立つ。そんなことは言うまでもないことだ。……と言ったそばからいちいち断りたくなるけれど、たとえばこの作文のように、まあ記しておく。

けれど、何も言わない……沈黙が最良で正しい選択、ということも、それなりにある。かの有名な漫画の場面に「沈黙が正しい答え云々」とあるけれど、まさしくそうだ、と引きたくなることも日常の折々に多々(逆に本家の漫画でこのシーンはちょっとよくわかんねえ)。

沈黙がよい、というより、そもそも「その問題自体が余計なことを言うことで発生した」ことも多い。秘密の漏洩はそのもの。また当世流行の舌禍もその最たるものだろう。この言い訳として、内心と表現の自由が駆り出されたりする。そうなるといささか話はややこしくなり、まあこの際その気持ちを抱くこと自体はわからなくもないし自由だが、よりによってその場所その立場で、何故ただ単純に黙れなかったのか、と結局そこが問題となってくる。だいたい、それを言ったところで何か解決や望む方向への変化でもあるのか? 本質は思想信条にあるとしても、表出する問題の首根っこを掴んでいるのは沈黙であったりする。

一見堂々と声をあげて立ち向かうべき問題、についても——これは「沈黙するのが賢い、怪我しない」というしたたかな立場を推奨する意味でなく——声を上げることで、声が通る意味の限りで対立構造や陣営が固まり、そのどちらかを巡って不毛な戦いが始まり結局共倒れする(結果、本題とは別に、ただただ騒動を好む外野の好奇を満たすのみ)——くらいならば、口を閉じたまま、様々な意見や情報に目を通し耳を傾け、ただ最善を行動する、方が良かったのかも、ということもあるだろう。少なくとも、初手からわざわざ立場を表明することはない、その必要はない。その立場であった、としても。

沈黙という選択肢は、自分が、だけでなく、他者の沈黙を守ることも意味する。ありがちな例として、他人に対し「男か、女か」を問う……真正面から聞くというより、各種書式の必要項目として、よくある。しかし最近では男と女に限らない性別もあるらしいぜ、じゃあ三番目の項目を設けてあげるのが今の時代の気遣いじゃん、どんな項目名にしよう? 場合によっては四番目の選択肢もあった方がいい? ……などと考えるくらいなら、そもそも性別を聞く必要があるのか、から考え直した方がよい。今はポリコレとかいって言葉遣いに気を遣わなければならないから大変、じゃなくて、そもそも必要でないことは(多く、必要はない)問わなくていいし、相手にも答えさせなくてよい。

問う立場でなくとも、もっと身近なこととして。例えばTwitterで「これ書こうか、書くまいか」と考えることがよくあるけれど(恥ずかしいことに)、そもそも全て、書く必要のないこと。アカウントが無ければ書けないのだし。とは言え、普段から色々書いているけど、少なくとも迷った時点では書かないようにしつつ、迷ったこと自体が滑稽なものだとその度に自分を嗤う。他愛ないことを言うのも大切で自由だけれど、多くは「そもそも言う必要のない」ことを、忘れがちではある。

他のジャンルだと黙秘権というものもある。実際に取り調べされたことないのでよく知らないけど「救援ノート」によれば、逮捕された時は黙秘一択。なるほど、仮に正当性を説明できる自信があっても、また単純に明らかな冤罪で「やってない」とだけ言うにしても。取調室という密室の異常空間で、いったん顕われた言葉と意味は如何様にでも変質していく。0”ですら加算される危険あり”null”に徹するのが最善。

あと、僕はお上品故に下品なことが嫌いなので、それについては一切沈黙して欲しい、と考えている。下品なことというのは、その述語に限らず、単語が表出するだけで様々な不快へと巻き込んでいく。今回だけ沈黙に対するメタ説明なので、特別に言うけれど、下品のわかりやすい例は「うんこ」ですね。うんこがどうしたああした、という以前に、うんこ、と単語が表出するだけで実に様々なダメージを負う。これについて多少は一般常識として守られているので、かなり嫌なやつでも食事中には余程狙わない限りうんこの話はしない。ところが一方で、うんこを忌避する態度を取ると「うんこは大切だろう。うんこ生命活動の必然だろう。お前はうんこしないのか?」等と、ここぞとばかり嬉しそうにうんこを連発して責めて来る連中も一定いる。確かに下品なことというのは、得てして大自然における生命の根幹と真理を握っている、と言えなくもない。捉え方によっては、下品なことを忌避する僕のような態度が、とても不自然で爛れた文明人の奢り、にもなるかもしれない。そして現代芸術などを見ていると、むしろ広義の下品さと無縁なものの方が少ない(何せある種の現代美術はデュシャンの「泉」、便器で始まる)。逆に言えば「お上品」は前近代的な幻想に過ぎず今更毒にも薬にもならない。芸術作品であるからには何かしらを問わなければ意義がないので、極端にいえば何処かで下品さを含まなければ芸術にならない。まあ、そうだろう。しかし、そのためには「作品」という完結性をもって、一旦の現実世界から距離を置く必要がある。というか、僕はそう求める(なので余談ですが、僕は作品と観客の境界線というものを重く見ている)。その境界を、一定の沈黙で埋める必要がある。

ところで僕にとってこれら沈黙に対する所見は、例にあげたような各種時事社会芸術問題よりも、むしろ会社での日々の仕事で得た感がある。無能な割に、社内や客先に対しこうした方がいいのでは、ああした方がいいのではと逡巡して徒に時間ばかり費やし、半端で余計な選択肢を無闇に増やしては現場を混乱させる。勿論、そうした気配り自体は悪くはないし、各種の可能性は想定しておくべきではある。判断材料や選択肢は多ければ多い程良い。けれど、黙る時は適切に黙っておく、ことも大切。

まさしく、沈黙は金。サイレントが最善手。

なのだけれど。

沈黙を守るのは難しい。

まず単純に、人は表現する生き物であり、その内容の是非や損得とは全く無関係に言葉を表出させる。裸の王様の耳はロバの耳という寓話もある。人の口に戸は竹立てられぬのは竹立てかけたかったから竹立てかけた。明らかに愚かで考え無しで理解し難い失言や舌禍の類も、その発生にはメカニズムがある(らしい)。失言によって衆目に晒されるのも一種の快感かもしれない、無視されるよりは。まあ、この手の人間の業については周知の通り。

しかし、もしやそれ以上に。沈黙を「守る」という表現からわかるように、状況によって雄弁より大切なことのはずだけど、沈黙それ自体は見えにくい(そりゃそうだ、見えなくしているのだから)という沈黙特有の事情もあるのではないか。「よしゃー、今日は声を出していこうぜー! エイエイ、オー!」というのはあるけれど「よっしゃー、今日は沈黙していこうぜー! エイエイ、シーン……」という状況は考えにくい。

コンサート会場などでは沈黙は遵守項目となる。しかし、それも飽くまで小言の類として扱われる。今、応援上映・マサラ上映といって、楽しく騒ぎながら映画を観るブームがあるけれど、これがむしろもっと人気出て標準化して欲しい。するとしばらくして、時折「黙って静かに映画を観る特別上映」が企画されるかもしれない。この時は、沈黙が積極的な意味で語られるかもしれない。「よしみんな、映画が始まったら一斉にシーン……でいくぞ!」みたいに。

僕自身、以前は「とにかく何事も言葉にしていくこと」を至上として正当化していった。あらんかぎりにあらんことを。あることのあらし。そこで生じる誤解や齟齬も、更なる言葉を上積みすることによって解消していく、という理想。また事前に言葉の限界を予め織り込んでおくことで、そもそもの誤解や齟齬の発生に余裕を持たせる。流石にそれだきゃ言ってはいけない言葉など一定基準を設けては、言うべき言葉も萎縮する。全ての言葉を許容する。「〜が憎い、嫌い」という発言に益は無いし、単なる私的な気持ちの表明だとしても、発言だけでその対象を充分に傷つける。かといって適切に、それを奥底に仕舞い込んでは、その憎しみが問題化されず、原因も対処できず、解消の可能性もなく、そしていつか無言のままでその対象を直接的に傷つけるかもしれない。それならば……と。

しかし、これも加齢の影響か、或は。ともあれ、最近の変節の一つ。まあ、勿論、ケースバイケース。冒頭の通り、多くの場合は発言することが重要であることが前提。そして時折は、沈黙の選択肢について考える。僕はこれを声に出して紙に書いて語るべきか、或は、沈黙するべきか。沈黙という消去的選択、しかし実際に発言するその直前までは、誰もが沈黙を選び取っている。当たり前だけれど。全ての発言は、沈黙を破ることによって始まる。では沈黙は何によって始まり、そして何によって終わるのか。

どうか沈黙という門出にファンファーレを鳴らしてほしい。皆勤賞のように皆黙賞を制定しみんなの前で讃えてほしい。禁煙支援アプリケーション(?)の「おめでとう、今日で禁煙何日目! 煙草を買う金でベンツが買えました。この調子でがんばって!」というように沈黙の成果を明確に定量化して評価してほしい。時折、謎の紳士が物陰から現れては「今迄よく沈黙を守り通してくれましたね。どうかこれからもがんばってください」と手を固く握ってすぐに去ってほしい。

沈黙を守り切れず、沈黙についての沈黙を破る。