ベルサイユの天子の闇、日出処のばらの影

最近はあまり本を読む気分にならないが、実家に帰った時は、寝入る前に適当な漫画を読む。主に姉が残した少女漫画で、僕も小さい頃から既に繰り返し読んでいるから、頭を使わずにすむ。と言ってもさすがに飽きたので、今までなかなか手が出ず未読のままだった「ベルサイユのばら」(池田理代子)を読むことにした。

姉が中学生の頃、宝塚狂いで「ベルサイユのばら」の舞台映像を繰り返し観ていた為、歌や固有名詞、せりふの断片、概ねの話は、同じ部屋にいた僕にも刷り込まれている。姉の影響で少女漫画は昔から好きだが、「ベルサイユのばら」については舞台版の絢爛な印象が強く、特に読みたいとは思わなかった。宝塚はやはり少年の趣味としては難しい。しかし後々、古典的名作には違いないので何時かは読みたいとは考えていた。

斯くしてこの夏このタイミングで、特に必然性のないまま「ベルばら」を集中して読んだのだけど、やはり面白かった、です。宝塚で強く印象づけられた「おめめキラキラむかしの少女漫画」はさぞクドかろう、と覚悟していたけど、全くそんなことはない。快男児オスカルの気っ風良さ、町娘ロザリーの可憐さ、スールスルと入ってくる。

で、読み進める内に「日出処の天子」(山岸凉子)を思い出した。以前、山型浩生の古い書評を読んで興味を持ち、こちらは何年か前に、満を持して読んだのだった。

CUT 1994.04 Book Review / ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。

舞台は6世紀の日本と18世紀のフランス、場所と時間に大きく差はあるが、まあざっくり「歴史もの」に違いなく、物語の中心を為す人物がトランスジェンダーであること、なども共通する(オスカルは、トランスどころかジェンダーに縛られまくっている、ともいえるけど)。

この二つの漫画については最早語り尽くされているので今更何を言っても、なので逆に「浅読み」……実家の本棚にたまたまあったから暇潰しに読んだだけでも得れたこと(但し前述の山形浩生の書評を援用しつつ)、について、ここに書きとめておく。


それは要するに、人生(?)には「公」と「私」2つの領域があるナー、ということ。

人は、まず「公」……社会、制度、生活、政治、理想、役割、使命、倫理、慣習に従って奔走し、それぞれの成果を出す(又は出せない)。かくて革命は成就し、高貴な人々は尊厳を全うし、雨乞いを成し遂げ、夢殿を建立し、政治の実権を握る。

一方「私」……とは、この二作の場合、即ち「愛」で、とにかく愛が歴史と政治の隙間を縫うようにして各方面に乱れ飛び、その多くは(多く「公」が阻害する形で)達成されない。この点が、時代物でありながら、どちらも王道の「少女漫画」たる所以かもしれない。

この「公私」は、表裏や右左といった単純で対称的な二大分類、ではない。

まず、1)登場人物たち自身には通常、公私の区分は容易に見分けがつかない。当たり前だが、普段から公私の区分をわけて考え行動しているわけではない。

そして、2)全体における公私の「割合」が大きく違う。人は通常、多くの時間と思念と行動を「公」のために割く。「私」が差し込む量感的な割合は少ない。意図できる「公」と違って「私」は多くの偶然性(仮面舞踏会の出会いや、水浴びの目撃)よって発生するため、自ずと稀少となる。

それでいて、3)結局、世の中で大切で重要なのは「私」(つまり愛)の方「だけ」である。「公」の積み重ねは「私」の足しにもならない。逆に「私」があれば「公」は実はどうでもよい(「貧しくとも愛があれば」)。

だが、1)の通り、その区分は自明ではないので、4)「私」の欠落を埋めるためにも人々は「公」の営みへと駆り立てられる。アントワネットは心の空白を埋めるために社交会で遊び散財する、という描写があるし、厩戸皇子も全能でありながら、毛人の愛を得るために裏で策略を尽くし、結果的には深い孤独に陥る。そして再び(所詮は無駄な)「公」へと向かわせる(本来は関心が無いはずの俗世の政治に深く介入もする)。

そして、5)「公」は合理的であり、その実現はたとえ困難なれど、道筋は明確に示されている。一方、「私」は不合理で突発的で運命的で、操縦不可能であり、その性質は「公」に属さないだけでなく、逆に「公」と相反する。愛は常に(!)背徳的である。

少女漫画の場合「私」は主に「愛」だけど、同様の構図は少年漫画他にも無くはない。それは「血縁」だったり「絆」だったりする。例えば現代少年漫画の代表「ワンピース」(尾田栄一郎)の主人公、ルフィはどうか。ビブルカードを通じて(義理だけど)兄のエースがピンチと最初に知った時は「エースにはエースの冒険がある」と割り切り、放っておいた。これは海賊である二人の「公」的判断で、潔い。しかし、いよいよエースが処刑されそうになったことが報道されると、ルフィはあらゆる危険を冒し、離散した仲間(「公」的な冒険によって得た)との再会より優先して、別チームの海賊であるが「私」にとって大切なエースの救出に向かう(そして失敗する)。

他には「信念」が相当するか。「ドラゴンボール」(鳥山明)では悟空ら戦闘民族サイヤ人の「より強い敵と戦いたい」という信念(私)により、何度も敢えて強敵を逃し、地球(公)を巻き込んだ窮地に陥る。「あしたのジョー」(ちばてつや,高森朝雄)では、拳闘と力石徹の亡霊(私)に取り憑かれ、無理な減量を経て、パンチドランカー症状を発症し、最後 は「真っ白に燃え尽きる」。紀子によって示された平和な道(公)を無視して。

(例が恣意的ですが)こうした展開はジャンルに限らず多くあり、物語を駆動する根底にもなれば、時に読者をイライラさせ、批判をも招く。(公として)万事丸く収まりそうなところ、(私として)『やっぱり行きます』と書き置きだけ残して去り、「あのバカっ!」と周囲から心配され、案の定一人で勝手に窮地に陥るような。このパターンは漫画等で非常に多くある。

以上。……で? この構図は繰り返す通り定番、「よくある話」であり、別に新しい発見でもない。公より私が大事。ともすれば「モノより思い出」程度の、わかりきった話だ。また漫画独特の話でもない。「本当に大切なことは、実は全体の中の僅か」ということであれば、それこそビジネス書や自己啓発書でよく言及される「パレートの法則」(80対20の法則。成果の8割は、全体の2割に過ぎない優秀な要因が生み出す云々)なんてのもある。

そこでもう一作、同じく実家の本棚にあった漫画「海の闇、月の影」(篠原千絵)を読んでみる。これも特に意味は無く繰り返し読んでいる。ホラー・サスペンス少女漫画の名作で、僕も読み始めた頃は面白く読んだ。が、最近になって読み返すと、人気連載継続の都合(殆どの日本の漫画が持つ構造的宿命だが)によって絶え間なくホラー演出がだらだらと続く「だらしない物語」(ひたすら「哀れ流風はとらわれの身、方や克之は絶体絶命、果たして二人の運命や如何に? 続き次第はまた来週!」で読者の興味を繋ぎとめる、街頭紙芝居的な)の典型とも思うようになった(それ故に面白いのだけれど)。

しかし「ベルサイユのばら」「日出処の天子」に横たわる「公私」の枠組みにあてはめると、少し違って見える。まずは以下(前2作に較べれば知名度が下がるので)あらすじ。


物語は主人公・流風(るか)に、憧れの陸上部の先輩である克之が、告白するシーンから始まる。

しかし流風には双子の姉、流水(るみ)がいた。顔は勿論あらゆる点で二人は似て、克之への想いも同じだった。遠慮する流風を、流水は自身の気持ちを抑えて応援する。

その翌日。流風と流水ら陸上部一行は、部の送別旅行で海岸を散策中、偶然にも古い墳墓に迷いこむ。そこで古代より封じられた謎のウイルスに感染、居合わせた他の部員は全員死亡、双子だけ生き残るが、その作用で強大な超能力を身につけることになる。

こと流水にとって大きな変化は超能力だけでなく、妹を思って封じ込めていた悲しみが増大し、途轍もない憎しみへと変わったこと。流水は超能力を駆使して、流風を殺害し、克之を得ようとする。流水はウイルスを他者へ感染させて操る能力があり、使い方次第では世界をも支配できる。かくて話の規模は大きくなり、天才科学者ジーンをはじめとした多くの第三者も介入し、そして死んでいく。

時に共通の敵を巡って、手を組むこともある流風と流水。二人してウイルスを治療し平常に戻り、和解する可能性も探っていく。しかしそれも失敗し、多数の人を殺害してきた流水を庇いきれなくなった。決別する二人は最後、命をかけて直接対決、流水は敗れ、流風の手によって、幕がひかれる。


様々に流転し、ひたすら引き延ばされる物語だが、この「公私」の構図で解析してみれば……この物語は序盤どころか、最初の一頁目で完全に終了している。克之の愛は最初から流風に向けられ、それは最後まで覆らない。実は何も引き伸ばされていない。

物語は流水の死で終わる。埒外の流水が、埒外で暴れて死んだ、だけ。克之も流風も死なないし変わらない。たとえ物語が、流水の意図通り流風を殺して世界を支配しても(「私」の欠落を埋めようとする「公」の積み重ね)、克之の心(「私」が望むもの)は手に入らない。物語がだらだら続くどころか、実は何も始まりさえしないのがこの作品の正体ではないか。

「流風、あんたは全ての美徳を手に入れた。優しさ、素直さ、愛情。だからせめて世界くらいあたしが手に入れる!」

最終回、悲痛な流水のせりふが象徴する。流水の言う「美徳」は「私」の領域だが、しかし流風は別に「手に入れた」わけではない。それは運命的に流風に備えられ、流水には無かった。代償として流水は「世界」という「公」を手に入れようとするが、その無意味さと虚しさは、物語中で流水も自覚している。

「ベルサイユのばら」に戻れば、流水に相当するのはご存知フェルゼン伯爵だろう。色んな意味で、元より叶わぬ「私」(王妃アントワネットとの愛)のために、あらゆる「公」的な行動に奔走する。アントワネットの死後は冷徹な政治家として振る舞い(これも「私」の欠落による「公」の領域にある)、最後には民衆に撲殺される。


「モノより思い出」「パレートの法則」と大きく違うのは、公私という領域の対象と、その割合である。「公」の領域は広く、「私」の領域はごく僅か。パレートの法則が8対2とするなら、公私は9対1か、或は99%と残り1%か? ……無論、そのような具体的な数値は無い。が、まさしく「公」と「私」で考える通り「世界の広さ」と「自身の小ささ」がその割合比とも考えられる。

意図的にコントロールできる(可能性がある)方が外部である「公」の領域であり、全く理屈も操作も及ばない方が「私」の領域である、というのは皮肉かもしれない。


「オルタナティブ(代替)など無い」というのが少女漫画の世界観かもしれない。今の世の中、例えば二、三十年程度の期間で考えても結構良くなっていて、個人の多様性がそれなりに認められつつあり、且つ自己責任ばかり求められるわけでもない。なので、困っていれば様々な対案や代案が用意される。 しかし、そんなものには意味が無い、という感性。運命的に訪れる、ただ唯一の代替不可能な「私」が無ければ。

或いは、時列的に考えれば、こうした旧来の少女漫画の感性を反省・対抗するために、オルタナティブが叫ばれたと考えるのが妥当かもしれない。では最近の漫画はどうか。例えば映画化で再び大きな話題となった「この世界の片隅に」(こうの史代)。ここでは中身でなくタイトルだけで考えても、これも尚「この世界(公)」「片隅(私)」の構図が活きている。「この世界の片隅に うちを見つけてくれてありがとう」見つけれらた主人公のすずは、物語のラストで一人の戦災孤児を、今度は見つける。戦中という過酷な「この世界」での創意工夫もこの作品の見所だけれど、勘所はやはり、その「公」世界との対比となる偶然、故に稀少で脆い「私」性となっている。


(……)これ以降、日本史の教科書に登場する出来事は、すべてがつけたしでしかない。法隆寺も、奈良や平安の世界も、そしてこの平成の御世の現代日本ですら。

(……)王子が最後に落ち込む深いニヒリズムと孤独は、そのまま今の日本を色濃く染め上げている病でもある

(……)男たちには、自分を包む孤独すら見えていない。だがそうした男たち、女たちが、幾世紀をかけて今の日本を築き上げてきたのだ。

CUT 1994.04 Book Review / ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。 ※ 強調筆者

「日出処の天子」読んだだけでは、山形浩生の書評におけるこの壮大な射程については理解できなかった。「ベルサイユのばら」を経て少し理解できたような気はする。かくて歴史上の人物たちの奮闘により(勿論、数多の問題はあるけれど)傷つきにくい社会、は目出度く誕生した。それはもしかしたら、「私」が欠落した人々による、虚しい代償行為「公」の営み、つけたし、程度のこととして。しかしこの、良く出来た傷つかない社会をしても、「私」の運命を突如として不合理に左右する天災や事故と、制御も予想も理解できない誰かの「私」が暴走するテロだけは防ぐことはできない。


不意にこの構図を確認することになり、今夏、思わず深いダメージを受けてしまった。いや、この構図自体は従前より認識していたのだけれど、僕が採用したのは「公」こそに重きを置く方だった。それだって、別に進んで選び取ったわけじゃない。様々な経緯と屈折によって、時間をかけて折り合い、ようやく持たざることについては諦めをつけて、そうした中でも持ち得ることについて、僅かながら選んできたもの。それは例えば、芸術や文化を通じて、感性と理知により世界と交流すること、その手立てを創意工夫すること。その背景にある倫理を考察すること。稚拙ながらでも、それならば、できなくもないし、とても大切なことではある。偶然でなく、自分の意思ひとつでできるからこそ、と。そうしたここに至るまでの苦しみも、結果としては必要な営みだった、として一種の美化までなされている(その挙句が、高校の時分より用いる「握微」という名前である)。

が、そうして慎重に切り分けた一切合財も、区分を変えれば所詮は「公」の領域に含まれる、無意味な代償行為に過ぎない、ということか。これが人生の約半分を費やした後で、ようやく気付いたことである。何が間違っていたのか。いや、だから間違えるも間違えないも何も無い、というのが、私の内にあって私ではどうしようもない「私」の領域である。勿論、寝しなに読んだ「ベルばら」一冊だけで、突如この境地に至ったというわけでは無いのだけれど。

本質は沈思黙考するのみ

僕は現在、溶接機(及び部品や材料などの溶接関連商品)を販売する会社で働いている。数年前は本に関係する仕事をしていたが、押し寄せる出版不況の影響で、こちらへ転職した。

以前は取り扱い商材が「本」ということで(右から左へ流すだけとはいえ)、それなりに自分の興味と仕事が重複していた。しかし現在の仕事である溶接には、殆ど興味が無い……勿論、金属が繋がってすごい、それって大切、と人並みには思うけれど……。また飽くまで販売なので、自分で溶接したことも無ければ、実際の溶接作業を見たことすらない。

興味外の、しかもそれ自体をするでもなく売るだけ、という仕事。比較的に言えば、あまり面白くない状況。でも何とか、それによって得る「感覚」みたいなものが、何か自分の役に立つ……までは無くても、その感覚自体が面白い、ことがあればと思う。例えば表題のように、何か意味ありげな。その感覚の話。

以下、溶接機の話になりますが、端折りつつ要点のみ、でも長々、しかも正確ではない話なので何卒諸々ご理解の上、ご寛恕下さいませ。

プロ向け(本体のみ)

「溶接」という作業はプロ向け。超お気軽な簡単溶接、といのは、あんまし無い。「はんだづけ」がそれに近いかもだけど、あれ正確には「溶接」とは別らしい(溶着)。ちょい溶けて再び固まるだけ。溶接は、より高度な化学反応(らしい)。

それよか何が「プロ向け」かって、まずそもそも一般家庭用の電源では溶接機は扱えないこと(例外あります)。要200V単相電源。掃除機みたいに、あのコンセントがついているわけじゃない。

で、ごく基本的な「アーク溶接機」について(正確には「被覆アーク溶接」です)。それがどんな溶接かはさておき(よう知らん)、そのアーク溶接機を買ったとします。でも、それ本体だけじゃ使えない。作業に用いるホルダー(及びアース)ケーブルが、本体にはついていない。スーパーファミコン本体で例えるなら(カセットは勿論)「コントローラー」がついてない状態。

何故かというと、必要なケーブルの「長さ」等が使用者や現場によって異なるから。なので、ホルダー(コントローラー)は必要なのを別に自分で用意してね、という。この辺が如何にもプロ向けっぽいですね。難しいことに「標準添付品」すらない。そりゃスーパーファミコンだって、プレイヤー次第で、6ボタンレバー式だったり、連射機能付きだったり、ニーズにあわせて必要なもの別売や非純正品で用意する、というのはわかる。でも、基本のコントローラーがついているので取り急ぎ遊べる。でも、アーク溶接機にはそれすらが無い。

発電機を兼用する

話は変わりまして、溶接機の種類の中には「発電機兼用溶接機」というものがあります。なるほろ。発電もできて溶接もできる。そりゃいいや。じゃあ「ガス湯沸かし器兼溶接機」とかは? 僕が知る限りそれは無い。「音楽プレーヤー兼用溶接機」も。何でやろう。数多ある実用品の中で、何故、発電機が兼用のパートナーとして選ばれたんだろう。そも何故兼用? 発電機兼用スーパーファミコンとかは?

……って、大それた問題じゃなく。前述の通りアーク溶接にはそもそも工業用の電源を確保する必要がある。なので、工場とか設備があればいいけれど、屋外の工事現場だと電源が確保できず溶接ができない。なので、ガソリンエンジンで発電して、溶接する、そのための発電機。で、折角発電するのだから、じゃあコンセントもつけて他の工具も使えるようにしよう、と。ふむ。

これって「そういえば町中に信号機が沢山あるけど、あれどっから電源とってるんだろうね?」「街灯っていたるところにあるけど、コンセントはどこにつながっているんだろう」みたいな話にも近い。いやそれは電柱、というような、素人らしい見落とし(僕だけですが)。発電機能、というより、機能の前提となる発電(でも機能でもある)。

唸る電源

さて、こっからが本題です。溶接って要は、強い電気を金属に流して行う。仕組みとしては単純。で、我々業界人は、溶接機本体のこと自体を「電源」と呼びます。スーパーファミコンで「電源」つったら、本体のことじゃなくて、後から伸びているケーブルやACアダプター、またはそれを差し込むコンセント、あたりのところをイメージします。又は、電源ボタンの部分。そうじゃなくて、本体のことを「電源」と呼ぶ。

それもそうで、強い電気を流す装置だから、溶接機=電源、なんです。電源で、電の源で、その目的は? って話だけど、電源から電気を流したら、結果として金属が溶接していたという話で。だから、あれは、まず「電源」。

つまり、溶接機を買うってことは「電源」を購入すること。青白い火花が飛び散る……といった溶接のイメージを実践するのは、後で別に買うホルダーや材料の方で、溶接機買ったぞー!つっても、なんかブーンって唸る、パワーだけは秘めてそうな何か、を買ったことになる。

でもそれって、スーパーファミコンでも同じですね。スーパーファミコン買ったぞー、つっても、あのカラフルな4ボタンのコントローラーは周辺機器、きらびやかな画面はそもそも我が家のテレビ、ゲームの中身はカセット。「スーパーファミコン」だけでいえば、ブーンって唸る(唸らないが)、パワーだけは秘めてそうな何か、に過ぎない。電源、だ。溶接機と違って、複雑な計算はできるのでしょう。しかし、それをどこかで入出力しなければ、それが演算処理とも知られず、やはり電気が唸るだけ。

本質は沈思黙考するのみ

それは溶接機やスーパーファミコン特有のことじゃなく。例えば「心臓」もそうだ。中心やや左にずれて肋骨に守られて堂々鎮座し、それは単に生命だけじゃなく、時にその精神までも象徴する。ハート。では、あの心臓が何をしているのかといえば、ドックンドックンと脈を打って血液を運ぶポンプ役。ドックンドックン……あれ、意外と地味な。いや、そんなら全身に必要なその「血液」の方が象徴的じゃないかしら。そんな風に心臓を軽んじたら、止まりそうで怖いけど。

いや、人のこころ、は実は心臓じゃなくて、脳にあり。脳はどうでしょう。あれも「ドグラ・マグラ」(夢野久作)に拠れば、脳髄は一種の電話交換局に過ぎないとのことです。大切な機能を持つ臓器のひとかたまり、じゃなくて、神経の交錯する拠点が肥大化しているに過ぎず、思考しているのは細胞全体、という解釈。

こうした構造、が何処まで有効かわかりませんが。ある物事の中心にして象徴たる本質は、意外と多機能ではなく、機能や運動としては極めて地味で単調である。地味であるどころか、それ自体は殆ど感知できない。逆に言えば、周辺の末端こそが、その物事自体を実働し、イメージを担う。

いや……そうした「中心」と「末端」の対比や構図よりも。ただ、中心が、実は地味、というその佇まいに何故かしら惹かれます。電源は唸るだけ。心臓は脈打つだけ。脳は交換するだけ……本質は沈思黙考するのみ。

のりこし

先ずはこちらの写真を御覧下さい。

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これは大阪駅の改札付近にある「のりこし精算機」です。堂々とした「のりこし精算機」の青い看板が目立ちます。さすが日曜日の夕方ともあって、行列が出来ていますが、充実の2台体制。勿論、駅改札口は他にも複数あり、当然、のりこし精算機はこれ以外も多数あります。

いや素晴らしい。駅によってはのりこし精算機の位置が微妙で、わかりにくかったりする。改札の直前まで来て、のりこし精算機何処!ってなって、そっちかいやと、わざわざ引き返せねばならなかったり。そういう時は、もっと目立つ看板でも置いて! と思う。のりこし精算機、とても大切なんだから。

そういえば、ちょっと前から、ICカードで10円単位でチャージができるようになり、のりこし精算がスムーズになった(のりこし精算というより、のりこした分だけチャージですが)。ソフトウェアも進化している。以前は、折角ICカードで乗っているのに、乗り越したら、別途、出場のためだけの精算券が発行されたりしたのだった。余計なゴミは出ないし、素晴らしい。

この看板を見て思ったんだけど、のりこし精算機のこと英語で「Fare Adjustment」と言うのか。ふーん。アドジャストメント……きっちりする、って感じか? 海外に行った時のために覚えておこうっと。

ふむ。

……あれ?

小さい頃、のりこし精算機の意味がわからなかった。

いや、意味はすぐわかった。

「あれは何?」「のりこし精算機」「なにそれ」「のりこした時に精算する機械」「のりこし?」「買った切符よりも、乗り越した時に差額を払うの」「……何で、最初から切符を買わないの」

そりゃ確かに、そういうことあるかもしれない。乗っている途中で気が変わって、もっと遠くへ行こうとしたり。うっかり乗り過ごして、まあいいか、ここで降りる、となった場合。

でも何で、そういうイレギュラーな事態のために、そんな大層な機械が用意されているのか。わからない。しかも、かなり重要なものとして、目立つ位置に設置され、大きく案内されている。そして多くの人が、実際にのりこし精算機を利用する。

勿論、今はわかる。のりこし精算機の、意味や機能だけでなく、その位置付けと、運用の実際。と言うか、僕は毎回といっていいほどのりこし精算機を利用する。券売機より利用する。

のりこし精算機についてはわかった。しかし、世の中には「こういうこと」が結構ある。本質から、ズレているようで、実際的には重要なことが。券売機が重要なのはわかるけど、のりこし精算機が重要ってのは……。それについて、何故そこが重要なの、と問うても、そっち側の人にとっては当たり前過ぎて、疑問に思うこと自体が想定されない。「いや、のりこししたら精算が必要でしょ?」と。

そういう事態に直面した時、いつも咄嗟に例えが出ずにいるので、今日ふと、のりこし精算しながら思い出し、メモする次第。つまり、時に概念が「のりこし精算」を必要とするわけだ。

追記

この記事を書いた後に思いついたのは「棚卸」。以前いた職場の場合、これは全職員が取り掛かる年度末の一大イベントだった。棚卸前は社内の空気がピリピリし、役割分担や手順を記した書類が配布される。その冒頭には「棚卸は当社の最重要業務のひとつです」と書かれてある。

で、棚卸とは何か。「ある時点の社内にある在庫をかぞえる」。いちにーさんし、っと。基本、そんだけ。製品を企画するでも製造するでも販売するでもなく、単に数える。うーん? たなおろし、って訓読みだし……。

まあ、在庫金額が重要なのはわかります。でも、それって、仕入れから売上引けば自ずと理論値は判明するような。誤差は発生するだろうけれど、そんなん数えたって発生するし。最重要業務にしては、やることシンプルで、手間のわりに誤差修正とは……。

勿論、今はわかる(いや、実はあんまりわかんないけど)。わかりつつ、何か概念がのりこししている事例のひとつという気もします。でも、よくわかっているほど、別になんでもなく感じるかもしれない。

他にあったら教えてください。

様々なものの行方

何かを始めるのに遅すぎることはない、とは思うけれど、この年齢になると、最初からその終わりについて想像を巡らせないわけにはいかない。もう幾つかの終わりを経験したのだから。そう思うと、何かを新しく始めることに、少し躊躇する。

既に終わってしまったそれら、は結局のところ、何だったのだろう、と思う。勿論、如何なるものにも終わりがある。問題はその終わり方か。いや、例えみっともない終わり方だとしても、終わった後に後悔を経て忘却されたとしても、その「最中」に少しでも意味があったのなら、始めた甲斐はあったのだろう、というか、それが全てではないか、とも。それに、始めなくては、そも何も無い。けれど、終わりが、その過去である今現在も塗り替えてしまうような感覚に恐れる。

(この記事を最初に掲載した)「余所見」も、既に終了した代物だ。このように書き込み可能なウェブサイトは残って、主宰者がドメインの維持にお金を支払い続け、つい先日も不具合のメンテナンスがあったけれど。まあ、元はウェブも活動の一角という位置づけだったので、当初の目論見からは外れ、終了している。

こうした終わり方は決して想定外だった、というわけではない。終わりについて想像すれば、高い確率で頓挫はあり得ることだと簡単に想像できる。けれど、これについては始めた頃は、如何なる終わりについてもそも考えが及ぶことは無かった。今から約7年前のこと。

僕は思春期の頃よりずっと芸術が最大の関心ごとなので「芸術、芸術ー」とばかり言ってこの年齢まで過ごしてきた。今この瞬間死ぬなら、「む……芸術」と考えて死ぬだろう。ただこの先、生活が困窮し、更に年をとって、日々に精一杯となり、その中でもそれなりの幸せや楽しみを見つけ、押し寄せる細やかな問題に対処し続け、やがて「芸術、芸術ー」といっていた気楽な期間よりも長く切実な日々を過ごしたとなると、死の間際、芸術のことを思い出すだろうか。その時には、「芸術、芸術ー」という思い自体が、そんなこともあったっけかな、遠い若い頃の何やかんや、と一緒くた、老いた今となっては、だけでなく、人生を通じて別に大したことでもなかった、と思うかもしれない。結局のところ、そういう風に終わってしまうなら(その確率はすごく高い)、この今だって、何のために考えているのだろうか。

最近は折りに触れ、「様々なものの行方」というフレーズが浮かび上がってくる。どこから来て、いや、来歴は問わない、それは既に通りかかったのだから、しかし一体、どこへ行く?

未来は、未だ来ていない、わけではない。それは「必ずやって来る」と既に決まっている。なら、未来というものは既に決まりきった過去の出来事と割り切った方が良い。

そう考えると、始めよりも、過程よりも、それがどう終わるのか、どのように着地したのか、が一番の興味となってくる。

これは勿論、組んだバンドが花咲かず解散して今はトラック運転手で家族もいて幸せです、といった話だけではない。そこかしこで行われている議論など、激しく言い争っていたあの二人は結局どうなったんだろう、と懐かしく思って調べたら、別にどうにもなっていなかった、というような。


今ここで終わるくらいなら、そもそも何故始めた?

これはアメリカ同時多発テロに至るアルカイダとアメリカの動向を追った本「倒壊する巨塔」(ローレンス・ライト、白水社)にでてくるセリフ。アイマン・ザワヒリがアルカイダ内で意見が分かれるなか放った言葉として登場するけれど、この部分は著者の創作だろう。止まれない原理主義者を表していて、劇的にはなかなか格好良い一節。劇のフライヤーに引用した。

取り敢えず、ではあるが「終わらせない」ということは僕の方法論の一つとしてある。継続は力なり、という話ではなく。

最も嫌なのは、ただ終わるだけでなく、「卒業した」などと称して、終わりを誤魔化すためにわざわざ砂をかけるような態度だ。

いや、「次へ進むために終わりにする」という潔い態度にしても。何故、それを終わらせるのか。やはりそれも、続けることを女々しさと貶める。嘘でも、続けておけば、続く。

中学生の頃に作ったゲームサークル「デイターク」は、転校後に知り合った人達と別途結成した「エルドリンクス」と後に合併し「游演工房」となった。これは今でも劇団で公演活動する際は、制作の名義として使用している(実際に、稽古場を借りる時も登録したこの名義を使用する)。

今でもファミコンで遊ぶ。週刊少年ジャンプを読む。FM-TOWNSのエミュレーターを走らせる。山本正之を聴き続ける。更新される限りは読み始めたウェブログの類を読み続ける。実際にゲームを遊ぶ機会は少なくなったけれど、ゲームについて楽しく考える。この余所見にも投稿する。

……まあ、これはただの超保守的・懐古的な考え方なだけとも言える。後ろ向き。ある種の傾向に見受けられる、こだわり行動に過ぎない気もする。というか単に、何時までたっても子供じみている。子供の頃、大人ぶって過去を切り捨てる人々が嫌だったから、ああはなるまい、と実際に実践すると、このていたらく。

ともあれ過去ばかりをひたすら引きずって、新しいことに興味が向きにくい。


本好きの女性四人が発行するフリーペーパー「はちほんあし」今月の特集は「はまっているもの」だった。この特集、ものすごおく、何でも無い、複数人が執筆するフリーペーパーの特集としては大定番、第一号にだけ許されそうな、単にそれぞれの興味を述べる、ありきたりに思うけれど、なかなか面白いと思った。

これは語感から感じる勝手な定義だけれど「はまっている」のは正に今現在のことで、やがて醒める、飽きる、抜け出す、終わる、ことが最初から織り込み済み、なこと。生涯の仕事と信じることを「はまっている」とは言わないだろう(間違ってはいないかもだけど)。

こういうテーマが与えられたら、むしろ一瞬で醒めそうなものを選びたいぐらい。むしろ変わり種、変化球の特集とも。そう考えると、少し気が楽だ。何かをこれから始めるにあたっても。

僕が今ハマっているのは(そしてもうすぐ醒めるのが)「カスターニャtanatan!!」という新婚夫婦漫才師。ネクタイの代わりにカスタネットがついた衣装を着て、なんでやねん、と突っ込むたびに、タン! と鳴る……いやそんなバカな、と童話の世界から出てきたような可愛らしさ。ネタも「中華料理屋ですべって転んだ!」とか「ヘソクリが旦那にばれた!」など、ほんわかふわふわ平和的なもの。妻のたまちぇる(という芸名)は、容姿端麗とてもキュートでありながら、謎の人妻感がにじみ出、MCではよく「ホンマに夫婦なん?」と言われるけれど、一瞬で納得させられる。

単に愛らしいだけでなく。NSCを卒業したて、芸歴、夫婦歴とも一年未満の超若手ながら、完成度が高い。ネタが爆発的に面白いわけでは決してないけれど、世界観が完結して淀みが無い(実はネタ全体が一曲のカスタネット演奏として全体を制御されていることもあるだろう)。確信をもってやっている、といった感じ。というか、NSCを卒業してもコンビを組んでは解消し、が珍しくない若手芸人において、迷いが無さ過ぎる、結婚という大いなる初手。試行錯誤する気なし(そもそも、若手の多くはやがて消えて行く)。そのせいか、既に複数のコンテストで好成績を収めたりと、テレビ出演など引き合いも多い(これ観るためにワンセグの受信できる場所を探し深夜の街を彷徨った)。お昼の番組リポーターとしてとても使いやすそう。戦略的ですらある。

単純に、はまっているもの、を時には気軽に示して終わりにしようと思ったけれど、ここまで書いて、カスターニャtantan!!の魅力は、若手なのに安易に「終わり」を感じさせないところにあるのか、と思いました。

まちは燃えているか

各種の話題に「まちづくり」というのが、たまにある。僕にとってはたまにだが、むしろそれが好き、最大の関心事、という人も多いだろう。行政から、又は建築から、文化から等々ハードからソフトまで色んな分野における「まちづくり」の話というのがある。なので意識せずともたまには聞くことになる。話として聞くのは大抵、遠い町の成功実例で、まあ聞いていて楽しいし、そりゃ良い話じゃん、とよく思う。専門家の知見と采配を導入しつつ、町の住人たちが話し合って、町を作る、素敵だな、と。

しかしながら。

自分自身にそれを当てはめることはできない、と思う。平日の日中は仕事に出かけ、それ以外は家の中か、何処かに出かけているか、だ。灯台下暗し、照らす先(出先)と灯台の中(家)は明るいけれど。よく考えてみれば「住んでいる町」には何の関心も無い。いや、関心を持つにしても、自身の生活と直接関係しない。まちがつくられるとして、結局とのころ、一体、何が?

自分が住む町への一番の関心は、先ず駅に近いか、その駅は便利か。それはつまり、違う町への接続しやすさ。住む町の様態とは関係ない。後はスーパーやらコンビニが近いか、とかだけれど、それは折りよくそういうお店ができるかという民間の商業的な都合なので、まちづくり、とも違うような気もする。

よく、ドラえもんなんかで、子供たちが罰ゲームに「逆立ちで町内一周」を課したりする。これ小さい頃から「へー、こいつらには「町内」の一言で通じるような地域感覚があるんか」と不思議に思ったりしたもんだ。別にうらやましいほどではないけれど、無いもの持ってやがる、と。他の地域ではもっと「まち」の範囲が明確なのかしら。これはただの物語における便宜的な表現に過ぎないのか。

もしかしたら、実は我が町でも……堺市北区東浅香山町でも……まちづくり、の専門家を招いて住民と話し合いが行われているかもしれない。ポストに入った案内を見逃したりしているだけで。平日の昼下がり、住人たちが話し合って、好ましい形へと何かが決まっていく。まちはつくられる。それを僕はたまたま出向いたシンポジウムで登壇者が紹介する一例で知る……そんなことを想像すると、悲しい気持ちになりますね。

アートの時間だぜベイベー

タカハシ‘タカカーン’セイジ個展「やってみたかったことを売ります買います展」へ行った(以下、売買展と略す)。事前にSNS等に流れていた関連テキストを読みつつ、当たりをつけつつ、職場帰りに寄った。他に客が一人「やってみたかったこと」を売買交渉をしていて、僕は展示だけを観て、去った。

やってみたかったことを売ります買います展

滞在時間は短かったが、面白かった。テメエの話になるけれど、僕の「運動展」とあまり変わらない(なので、面白いという他は無い)。ある種類の、一掴み程度の、思念が書かれたテキストの展示。運動展の場合は、単に「僕が面白いと思うこと」が掲示されている。売買展はもう少し凝っていて、タイトル通りのコンセプトのもと、「やってみたかったこと」という思念は実際に売買された契約書の体裁で書かれている(なので、契約書独特の文法やリズムが効いている)。書かれている思念が、実現性とは一旦、無関係な点も共通している。どちらも「個展」であることが、思念を引き出す動機付けになっているが、売買展の方が、更に金銭を介す体裁をとることで、作家又は来場者の思念を引き出す仕組みとなっているので、こちらの方が美術的な企みに満ちている、とも云える(故にこそタカハシさんの方は良くも悪くもごく普通のあってきたる美術で、ギャラリーが当初期待した?枠組みを問いかけたり揺るがすようにはなっていない。片や俺様の運動展は普通であるが故に美術という枠組みを揺さぶる傑作となっている)。また、明快でもあるし、詩的な余白もある。加えて契約書に添えられたレシート、コンビニで契約書をコピーした際に生じるものだが、一見内容と無関係ながら、アナログな手書き契約のタイムスタンプをデジタルなレベルで果たし、この使い方は造形的な見た目も含めて秀逸だと思う。

あるコンセプトのもと生成された契約書を美術となす作品自体は既に多数ある。と言いつつ的確な例を挙げられないが、先ず想起したのは「隣の部屋~日本と韓国の作家たち」(国立新美術館,2015年)における韓国人アーティスト、イ・ウォノの「浮不動産」というインスタレーション。展示場に入ると先ず目にするのはシンプルだが巨大なダンボールハウス。ここに入って通り抜けると、展示場壁面には額装された契約書が多数掲示されているのが見える。脇にはモニターがあり、アーティストがホームレスと交渉し、ダンボールを買い取ろうとする様子の記録が放映されている。先ほど入ったダンボールハウスは、日韓のホームレスが実際に「家」として使用したダンボールを買い集めて再構成したものだとわかる。面白いのは映像中、困窮しているだろう多くのホームレスが、お金は別にいいよ、と譲ろうとするところ。それでは作品が成立しないので、その家に、それを集めるために費やされた労働に対してお金を支払う、と説得する作家。また当初「ダンボールが欲しいならあそこで手に入る」と教えてくれたが「ああ飽くまで家として使用されたダンボールが欲しいわけか」と、抽象的なコンセプトに歩み寄ろうとしてくれるホームレスなど。ともあれ、本作において、こうして出来上がった巨大なダンボールハウスもさることながら、契約書が重要であることは言うまでもない。契約は、国立新美術館の名義が記され、ひいては国が税金で購入したことになり、ホームレスは美術史に組み込まれる。

さて、売買展は面白いが、幾つかの粗はある。第一に、氏は音楽を軸にライブやパフォーマンスをやってきて、今回、美術に沿うにあたり「ものとして残る」点に着目したと、どこかで書いていた。なるほろだけど、今回の作品もまた殆どがパフォーマンスだ。その行程は間違っていないけど、展示はその先にあった方が良い(その際、売買時の映像も添えれば尚、今時の美術っぽくなるでしょう)。勿論「その制作過程を作品として展示しているのだ」でも良いんだけれど、前述のような意図があるのであれば、展示の位置づけをそうした方がお互い良いのではと思った。会期の最後に「総括」のトークイベントがあったと思うが、普通は「総括」したものを展示するのである。

(話は逸れるが過日、某アートNPOのイベントで、そこは各種で行われるアートイベントの映像記録を業務の一つとしているけれど、それについて客席から「記録の活用は為されているのか」と質問があった。これに対しNPO側は「今すぐ活用されることを目的に記録しているのではなく、何十年後かのために記録している(勿論、現在の活用にも効率良く供されることは大事だという前提で)」と応えた。アーカーイヴに関する理想的な答ではあるが、僕はザッと以下のことを考えた。アートにおける映像アーカイヴの勘所は「記録の対象となる」ことで「記録される程のことである」と周囲に知らしめ、対象自体を権威付ける、という点だろう。その後の活用は三日後だろうが三十年後だろうがあまり関係はない。記録されている「さま」こそ重要で、極端な話、カメラマンとカメラがあればテープは無くても構わない。何が言いたいのかと言うと、パフォーマンスでもモノでも、残らないものは残らない。次から次へと目移りする現代において、アーカイヴを参照する余裕など普通は無く、だとしたらその瞬間をより強く印象づける方が良い)

第二に、第一と関連するが、肝心のテキストが少ない。展示終了前日で数件程度なのだから、況やをやをや。売買ということで、この個展はある種の小売店を開店するようなものだが、まるで見通しの甘いただの読書好きが立ち上げた古書店のよう。店を開けば在庫は捌け、魅力的な本が多数買取りされるような。その志は認めるとしても、そこはもう少し、各種の技術を駆使して在庫にせよ買取にせよ豊富になるよう仕向ける必要があるだろう。例えば、先ずは作家が販売用に「やりたかったこと」を多数羅列しておくとか。

そして一番まずいのは、ギャラリー側との不和を開示してしまった点だろう。デュシャンが便器を展示してから早百年、個展と称して例え何もしなくても充分成り立ってしまうほど(寧ろ気が利いた展示だと云える)、現代美術は既に倒錯してくれているのに、比較的コンセプトも明確なこの展示で、画廊における責任だの意義だの云々しょうもない話を表に出すことは無い。そもそもどこに問題なのかよくわからない。

この件については、議論がまとめられているフェイスブックのページがログインしないと参照できないようなので、別途ばらばらに引用されているテキストを追うのみであるが、まあ、ギャラリストが端的に悪い。内部的にどちらが良い悪いか別として、最終的な責任はこの場合、主催のギャラリー側にある。展示はそのギャラリーで実際に行われているのだから。ギャラリー側が「単にギャラリーの見る目が無かったのかもしれません」とコメントを出したように、話はそれで終わる(複眼なのに目が無いとはこれ如何に)。そのお祖末な見る目を飲み込んで、結局のところどう落とし込んで行くか(不和を開示するぐらいなら中止の方がマシだろう。そして中止を背負い込めばいい。作家ではなくギャラリー側が展示をしながらこうして不和を唱える構図は他に見たことが無い。勿論、独特で良いという意味はなく、筋が通っていないからだ。どちらが領収書を発行するかという戸惑いに似る)。

それを前提とした上で敢えて外野が内部事情を覗き込み、タカハシ氏について思うのは、勿体無い、ということ。僕はタカハシさんをよく知るわけではないが、才能溢れる人だと思う。でも、それを真正面から発揮せず、また引き受けず、パフォーマンス(アサダワタル)、音楽(米子匡司)、演劇(岸井大輔)、文藝(仲俣暁生)、と各ジャンルで既に実績を持つ人物と次々に交流・対談するなどして、本人は常におどけて見せるのが主な芸風となっている。

彼に直接・間接的に影響を与えたであろう少し年上の界隈の人間、アサダワタルとか蛇谷りえとか米子匡司とか岩淵拓郎とか、の立ち振る舞い、日常再編集だとか町の道具だとかメディアピクニックだとか一般批評だとかうかぶだのしずむだのひらがな数文字で名付けるセンスとか、を真に受けて、こういう作風になったのだろう。彼奴等界隈の背景には技術も戦略も文脈も歴史あり極めてしたたかなのだが、なるたけそれを表に出さず無邪気無垢な一小市民として世間と対峙するのが共通したルールとなっている。これを表面だけ真似て、裸一貫、自分の素朴な感性のみを「信仰」し、しかもその文法は肯定文でも否定文でもなく、主に疑問文によって構成される。

僕如きからでも氏に届くよう罵倒語を慎重に選ぶなら、氏の芸風は(あんまりこういう言葉は使いたくないが)「赤ちゃんプレイ」と似る。常に「ママ」役を対置させ、自らはバブーと洒落込んでみせる。ママは、それに対してヨチヨチとあやしてみたり、時にめっ!と叱ってみせ、周囲はそれを暖かく微笑ましく見守る。赤ちゃんは時々、赤ちゃんであるが故にママや周囲の大人をひやりとさせる言動を放つ。こうした赤ちゃんの振る舞いから大人もまた多くのことを学ぶのも確かだ。しかし、それは本当の赤ちゃんから学べばいい。赤ちゃんプレイも時には良いだろうが、それは閉ざされた空間でやるべきで、周囲から眺めて気持ちの良いものではない。悪趣味な見世物に過ぎない。

今回の敗因は、ママ役のギャラリストが既にリアルなママだったせいか、何時もの甘えが通用しなかったことに尽きるだろう。

僕が最も嫌なのは、「この展覧会を、いつでも中止してやるぞ」というトリガーを、僕のこめかみに銃口を当てたまま脅すような言動や態度とは穏やかでないけれど、アーティストの戦いは普通、そこから始まる。ベイベー。

2017年追記

タカハシ氏はその後も精力的に活動、この展示が1年前のこととは思えないほど、大小多数のプロジェクトを展開している。特に今現在は、千島財団の助成を受けた、下記プロジェクトが中心軸の模様。

「芸術と福祉」分野をレクリエーションから編み直すプロジェクト(仮題)

ただ印象としては、上記プロジェクトの概要に見られる通り、自身の素朴な感性を、先行活躍する既存の固有名詞群と対置させる、といった赤ちゃんプレイ方針は変わらない模様。

個人的にその手法については、気持ち悪い、とは思うのだけれど、実際に有効なのかはよくわからない。なので、今後の成果を見守りたいところ。

「焼肉ドラゴン」(店は継がない)

新国立劇場制作の舞台「焼肉ドラゴン」(作・演出:鄭義信)を観た。数年前、初演が読売演劇賞を受賞したという新聞記事を読んだことと、題名のインパクトで覚えていて、今回、再々演ということで観に行くことにした。また、たまたま今現在「社会的・政治的問題を背景とする作品」に意識的に興味を向けていて(自発的に興味津々というわけではないが)先日観た青年団の「冒険王」「新冒険王」(特に新冒険王には韓国人俳優が多数出て来る)に続けて、丁度良かった。

焼肉ドラゴン – Wikipedia

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※ 画像は新国立劇場のもの

久しぶりにごく普通の演劇を観た気がした。俳優は大袈裟に喋り、動き、わざとらしいギャグを定期的に入れて、暗転で時間は経過し、雰囲気を盛り上げるBGMが流れ、二幕で途中休憩もあり、ラストは桜吹雪が舞い落ちる。

普通過ぎる劇だ……と、言いつつ、その終幕ではぼんろぼんろ泣いた。

ただ、ちょっと戯曲に納得行かないことがあるので、それをここに記しておく。

家族の末っ子である時生の扱いだ。血縁が少しづつ重なり合う家族で、再婚者同士の唯一の子供。彼は中学生で私立の進学校に通っているが、在日であることを理由に激しいいじめに遭って失語症になり、殆ど不登校状態にある。劇中、彼は店の隣にある物置小屋のトタン屋根にのぼり、そこを自分の居場所として町の喧噪を見渡している。周囲の登場人物に公立への転校を薦められたりもするが、父は頑に進学校へ通わせようとする。

劇の中盤、父が同席する学校の三者面談で、中学留年がほぼ決定だと告げられる。それでも父は、母の反対も押し切って引き続き進学校へ通わせようとする。追いつめられた時生は、普段通り物置小屋の屋根に上がり、そして、身を投げる。

戦争で左腕を失い、四・三事件で家族を失い、渡った日本で困窮に耐え家族を養う、しかしそれを無闇に嘆かず、寡黙に淡々と生きるこの父が、こうも息子の進学校に拘る……その気持ちはよくわかる。同じく貧しい他の登場人物たちが高度経済成長を揶揄して語る中、しかし一人息子にはこの日本の、その流れに沿って安定して生活して欲しいことへの願い。

しかし、それが時生を追いつめた。そして彼の人生は若くして終わってしまった。その時点で。あまりにも早すぎる死。

そこまでは(物語の展開として)良いとして、この戯曲で不満なのは、その時生が、この集落に対するノスタルジーを語ることだ。失語症である時生が長科白を話すのは、劇中の会話ではなく客席に向けた語りとしての言葉で、冒頭と、ラストの主に2回。時生が、いわばこの作品の鍵括弧を、開いて、閉じる。最後の最後、家族が離散していき、夫婦もまた長年過ごした地を去る際、時生は物置小屋の屋根の上で力一杯手を振って両親を送り出す。

……時生が、いじめられつつも何とか生きてさえいれば、それが美化であれノスタルジーであれ、ここでの日々もそうして思い出すことが出来たかもしれない。でも、時生は失意の最中、自らの命を絶った。家族を恨んでいてもおかしくない状況。そこまででは無い、としても、この町に対し、思い出を美化する時間すら無かったはずだ。

劇の中心は、三人姉妹とろくでもない男たちの、割合どろどろした恋愛模様に割かれ、時生は目立たないばかりか、そこにはあまり関わることもない。時生についてはあまり語られることも無いまま、中盤に自殺し、それも暗転が過ぎれば再び姉妹のドタバタ物語に舞い戻る。せめて、もう少し時生について描写があれば、と思う。

……と、書きつつ、でもまあ、思い出しても涙が出てくる。特に最後の最後、父がリヤカーで坂道を一気に上るシーン。あれは、本当、すごく良い意味で「演劇的」だと思った。唐十郎のテント芝居のラスト、テントが開いて外の世界を借景し、というのはお約束で、物語上、テントが開く必然性は無い(と思う)。あのシーンも、プロット的に言えば、最後のちょっとしたギャグのため、母が突如リヤカーに荷物とともに乗り込んで、幾らなんでも右腕しかない老いた父に自分ごとリヤカーをひかせる、ってのはあんまりだ。……と思ったけれど、あそこで父が気合い一閃、リヤカーで駆け上っていく幕切れは、一度は想像した「そのまましんみり去っていく」情景を完全に書き換えて、ああ、終わった、この作品における「終わり」は、演劇に必要な、そして結局は全てを象徴することになる「閉幕」はこれだった、と納得する。あの、寡黙な父の気合い一閃こそが、この劇の全てであったと。「物語」が物語らしく終わるのではなく、(物語のバランスを多少崩しても)ちゃんと「演劇」として終わる。

それだけに、時生を失ったことは本当に悲しいし、それもまた人生、というには辛い。

何より、それもまた人生、と時生自身に語らせるのは(そう直接語っているわけじゃないけど)惜しい。

そもそも「語らせる」こと自体が、現代口語演劇でなくとも悪手だろう。この劇は、すんなり人情劇とはいかない皮肉が多数ある。三人姉妹たちは、ドタバタの末、ろくでもない男たちと結ばれて、恐らくは悲惨な未来が待ち受けていることがわかる。観客は素直に気持ちを落ち着かせることができない。それがこの芝居の良いところでもあるのに、何処かで「それもまた人生」と登場人物が語り、音楽が鳴ることにより、そのうやむやが処理されて「その程度のこと」に留まってしまう。

と、話は欠点に向いてしまうが、後は……三女役の俳優(チョン・ヘソン)が良かったね(きっと観た人はみんなそう思っていることでしょう)。舞台上をくるくる跳ね回り、遠目もあって、漫画のキャラクターみたいだった(浦安鉄筋家族に出てきそう)。特に「歌手になりたい!」と駄々をこねるシーンは良かった。と言うか、流暢な日本語で韓国の俳優とは思わなかった。役的にも、一家の中で一番流暢に日本語と英語を喋ることができる。格好良いー!

そうそう、この劇の魅力は何と言っても、日本語と韓国語が入り交じるところ。字幕に慣れると「やっぱり僕、韓国語も結構わかるんや」と誤解してくる。青年団の「新冒険王」も多言語が入り乱れるが、舞台からして「焼肉ドラゴン」はより日常の話で、日本語話者、韓国語話者、に分かれず、同じ人間が「使い分ける」感覚が強い。

蛇足だが、この劇について、私的な所見。

実家が中華料理屋だと言うと、よく「継げへんの?」と聞かれる。今では聞き慣れたが、当初は、え? なんで? と思った。父に「継げ」と言われたことも無いし「継ぎたい」と言ったことも無い。特に昔はそんなこと、そもそも思いにも寄らなかった。

当家は、祖父の代から中華料理屋で、日本に渡った父も同じ屋号で店を出したが、多分、継ぐ、という感覚は無かったように思う。そして元を辿れば祖父も「念願の中華料理屋を開業」したわけではない。この劇にも明らかなように、ある種の飲食店というのは、故郷から逃れた人が、生きる手段として開業するもの。

僕の父自身も、本当は電気屋をしたかった、と時折言う。電気屋とは抽象的だが、要するにコンピューター関係のことらしい。ポケコン、マイコン時代から趣味で触って、おかげで僕も小学生の頃に父からBASICの基礎の基礎を教わることができ、同世代では早くからネットワークを体験することが出来た(最低限のことだが、今に至るまで役立っている)。父はきっと若い頃コンピューターに触れて興味を持ち、やがて来るIT革命に何らかの形で乗りたかったに違いない。でも、そういうわけには行かず、日本で中華料理屋を開業し、一家を養うことになった。ともあれ、息子である僕には、こんな身体を酷使する飲食店でなく、ごく普通のホワイトカラーになってほしかったはずだ。僕も、中華料理屋になりたいとは思わなかった(勿論、継ぐのは嫌だとか、そういうドラマ的な展開もなく、考えることすら無かった)。

ということで「焼肉ドラゴン」において父が時生に抱く教育への思いは、本当によくわかります。今度「何で家継げへんの?」と聞かれたら「まず「焼肉ドラゴン」って芝居を観てくれ……(約3時間後)……観た? これ父が息子に、俺の店「焼肉ドラゴン」その秘伝の味を継げ!……って話じゃ、全然無いでしょ」と答えよう。演劇だからわかりやすいでしょう。

とは言え……例えば長年の修行を経て独立して、又はサラリーマンが脱サラして、念願の店を構えて一国一城の主、としての「飲食店」もあるわけで……。その辺、不思議な気はするね。

差異と同一

自分で何か考えたり、或は他人と議論したりするときに「差異」と「同一」の概念を駆使することがよくある。

「それとこれとは全く違うこと」というのが差異で、「それとこれとは全く一緒のこと」が同一だ(ですよね?)。差異も同一も、普通はそこにただ認められるだけ、なのだけれど、考えごと次第によっては「差異である」「同一である」という見地が、時に思考や議論を大幅に加速させる。

その加速度の高さ故、特に議論においては事故も起こりやすい。そもそも「差異である」という意見は同一に対して反旗を翻すわけだし、「同一である」という意見は差異に対する通り魔なわけだ。

当たり前のことつらつらと書いているけれど、そもそもそういうことあるよね、とただ認識することによって、事故を減らそう、という目論見(余所見じゃないな)。

差異。これはよくある。同一よりも差異を見出す方が寧ろ思考として一般的か。多分、昔々は、ぼけーっと世界があって、全てが同一であったろう。ある日、太陽と月は違う、肉と麦は違う、自分と他人は違う、と次々と差異を見出していった、のだろう。差異を発見することは、思考のごく基本的なところであり、そして実際、全てに差異はある。

同一。差異の方が話としては多いかもしれないが、同一もまた重要だ。同一性を見出せば、参照できる事例が広がる。差異に拘り複雑化して袋小路、こういう時「同一」を見出すことが光明になる。どんなものにも差異を見出せるからこそ「同一」もまた知的でもあり勇気である。

例えば、おにぎり、と、おむすび、がある。おにぎりとおむすびは違うよ、三角なのがおにぎりで、地域によっても呼び名が云々。これが差異で、そういう議論はまあ楽しい。でも、おにぎりのことをおむすびと呼んだ人に対し「それは違う!」と非難するようになると、まあまあ、おにぎりもおむすびも、あれのことでしょ、となる。

芸術作品の批評はどうか。このタッチが、他と較べて実はちょっと違うわけでしょ、それが良いんだよ深いんだよ、てな具合で、こちらも差異が大活躍する。一方で、批評は先行作品との関連性を指摘していくわけだから、同一も大活躍。この作品の構造は、古典的な作品と実は同じである云々。むしろこっちが学術的だし、スリリングかもしれない。

どちらが良いことか、は勿論、状況によって異なる……だけでなく、困ったことに同じ状況下で同じ対象でも(そして時には同じ人でも)「そこに(敢えて)差異/同一を認める」ことがあり得る。

なので、あんまり差異をもって同一をけなし、同一をもって差異をけなす、ということはやめた方がいいですよね。自分の好きなことや詳しいことには幾らでも差異を見出せるし、そうでなければ同じに見える。そういうは個人差に過ぎないし、同じ人にとっても、どれだけ目を凝らすか、ぼやかせるか、のこと。バランスの問題とも似ている。

でも現状、差異と同一の判定を自らの拠点として議論を進めるパターンが多いように思います。


「言葉の暴力」という言い回しがある。言葉、の、暴力。それは、言葉の中では暴力に位置する、ということなのか、暴力そのものになった言葉なのか。

例えば、酷い悪口を言って、言われた人や回りの人が「それは言葉の暴力だ!」と非難する。それは、言葉の中でも特に酷いこといって傷つけたよ、ということなのか、本当にぶん殴られるのと同じダメージを与えたのか。

……「ぶん殴られるのと同じダメージを与えたのだ。 言葉の暴力を用いるってのはそういうことだ」……それは、ホントのホントに拳でぶん殴られるあの暴力と「同一」なのか。血が滲み、目が眩む、そして何より「痛い」……痛い痛い、あの肉体の痛さ、苦しさ。それと同一なのか?

高校生の頃、人権団体の研修で、被差別部落出身の人が「差別の言葉を投げつけられること。それはたとえ言葉でも、とんかちで殴られたように痛い」と言っていた。その真実性は一旦保留しつつ、僕は(折角「研修」という場で聞いたので)その「同一」を敢えて信じることにした。言葉は時に、暴力に匹敵する。言葉でさえそうなのだから様々なことは暴力になり得る……。ならば、暴力的な様々なことに抵抗するため、時に黙って暴力を振るう、振るわれることも、それほど無茶苦茶な話ではない。

「どろぼうがっこう」の卒業生と「跡」のかわいらしさ

かこさとしの絵本「どろぼうがっこう」を初めて知ったのは、小学校三年生くらいの時、先生の読み聞かせだったか。もっと低年齢が対象の本だと思うけど、比較的中学年から高学年にかけて体験したような……記憶があやふやで、肝心要の筋も忘れたが、何せ泥棒の教師たる「くまさか先生」と、ラストに出てくる刑務官の、造形デザインがインパクトあった。冒頭に出てくる、みみずく、も。滑稽な「筋」よりも、絵の「ヤバさ」が印象に残っている。「なんで絵本って、こう、必要以上に、アレなんだ……」と、思ったのは確か。それで後に、図書館で絵面を確認しにいったものだ。

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どろぼうがっこう (かこさとし)| 偕成社 | 児童書出版社

……ということで、先日、我が家にも泥棒がやってきた。イベントのため昼夜を逆転させた土日を経て、ぐっすり実家のベッドで眠った後の、月曜日の朝。出勤の準備をしていると、洗濯機を回しに風呂場の脱衣所に行った母が、半笑いで「泥棒に入られたみたい」と叫んだ。

何かの思い過ごしでは、と思ったけれど、コードを切られたレジが、風呂場に置いてあった。引き出しはこじあけられれ、5円玉を残して中の釣銭は空(泥棒にとって御縁は御免なのでしょう)。これはもう思い過ごしではなく、火を見るより明らかに、やられた。

実家は所謂、店舗付き住宅。父のラーメン屋と母の服屋の二種類があり、どちらのレジもやられた。犯人は、家の裏手、風呂場の窓から侵入したらしい。二階にあがった形跡はない。寝室は三階で、誰も気付かなかった。僕は深夜1時頃まで、表道路に面した二階の部屋で灯をつけて本を読んでいた。恐らく、その消灯を確認してからの犯行であったのだろう。

被害はレジの釣銭だけではなかった。母のカバンも無くなっていた。中には財布があり、現金は2万円程度だが、日常使うカード類が入っている。急いでカード類を止める手続きに入った。

が、このカバンはすぐに見つかった。表のゴミ箱に捨てられていた。カード類は全て無事で、札だけ抜かれていた。

ということで、被害は比較的少なめ(現金十数万円程度……)で済んだ。カード類には目もくれない、昔気質の泥棒だった。そもそも、夜、に、抜き足差し足忍び足、で来る泥棒は実際には珍しい。この界隈に出てくる泥棒は(結構いると聞く。でも今回は久々の登場だったみたい)いずれも日中の犯行が多い。これ確かにテレビのワイドショーでも聞いた覚えがある。財布も、一度手に取ったものをわざわざ捨てて行くなんて、例えカードを使わないにしても、親切な話だ(持って帰った方が危険というのもあるだろうけれど)。

そんで、僕は「どろぼうがっこう、の卒業生みたいなやつの犯行だ」だと思いました。以上。

また、風呂場に置かれたレジを見て、そのシュールさに、不思議とかわいらしさ、を覚えました。勿論、この件には家族一同、ガックリきたけれど、ポツネンと風呂場に置かれたレジ、には独特の風味がある。

記憶に残る、小さい頃の情景のひとつ。中華料理屋の厨房、ステンレスの台に、ちょこんと置かれた餃子の「あん」のみ。「ネズミが皮だけ食べていった」と父は言った。本当に、皮だけを残して、中の餡は包まれた時の丸みを帯びた形で、置かれていた。何だかシュールでかわいらしかった。

(しかし、これは何らかアレンジされた偽記憶か。ネズミが皮だけ食べるとも考えにくし、仮にそうだとしてももっと荒らされているだろう。それにネズミ、餡も好きでしょう)

不思議と「跡」というのは可愛い。犬や猫の「足跡」なんかがそうでしょう。そのまま絵記号になって、はんこにもなるような。どういうメカニズムだろう。

初手で!

「初手で」は、合言葉であり、鍵言葉だった。

主宰する劇団の稽古、その初日。僕は筆が遅いので、俳優が予め渡された脚本を読んでから稽古場に臨む、ということはない。俳優は稽古場で初めて渡された脚本を読むことになる。また、脚本は本番まで完成しないことが多いため、稽古のたびごとに、少しづつ、そこまで書き上がったばかりの脚本を渡されることになる。

時間がないので、まあ取り敢えず読み合わせましょう、ということになる。先ずは黙読で下読みしてもらって、という時間はない。読む前に、このせりふはこういう意味でして、こういう風に読んでください、と事前に説明する時間もない。取り敢えず、読む。

勿論その出来は、たどたどしい。全くの初見なので、文字を読み切ることすら難しい。そのせりふを言い始めた時には、肯定で終わるのか否定で終わるのかもわからない。ともあれ、読み終えて、流れは理解できた上で、注釈や注文をつけ再び読みあわせる。

……先ほどより良いものができる。そして更に細かい演出をつけていく。次に読む時は、更にせりふに慣れ、且つ演出の意図も汲みつつ、より良くなっていく。

……と、これはまるで彫刻のようだ。ただの無骨な木材を、荒削りして、何となく全体の形が見えてきて、細部に手を入れ、こういう作品かとわかるようになり、研磨することによって、よりより完成度が磨かれていく。

ただし、完成品は最初の木材より小さい。接ぎ木をしない限り、どんな熟練の彫刻家によっても大きくなることはない。彫れば(どんな彫り方であれ彫る以上は)、必ずその分、小さくなっていく。斜に見れば、最初の無骨な木材そのままの方が、その小さな仏像より、味があって良かった、という主張も成立し得なくはない。

演劇の稽古においても同様のことがいえるかもしれない。より良くなっていくことで、少しづつ失われていくものがある。より完成度は高まっていくが、小さくなっていく。あれ、小さいぞ、と思って慌てても、大きくすることは出来ない。ともすれば、最初にたどたどしく読んでいた時の方が良かった、と思う時さえある。勿論、今更わざとたどたどしく読んでも、それは違う角度でノミを入れることに過ぎず、こうなると泥沼。

しかし「だんだん小さくなっていく」ことも問題だけれど、「だんだん良くなる」ということこそ問題ではないか。一回目より二回目、二回目より三回目。小さくなっていく、のは仕方ないとしても、まあ良くなっていく。しかし、何だこれ。良くなっていくことには限りが無い。ただ、現実的には本番がある。どこかのタイミングで、現時点を提示しなくちゃならない。

だんだん良くなる、ということがとても不誠実に思えてくる。どこかに、品質の責任を置き去りにしてきたような。だんだん良くなる以上、今あるものは、次よりも良くないもの、だ。それをわかって、何故それを提示する? だんだん良くなると知っているなら、何故、今、良くしない? 何を、出し惜しんでいる?

そこで「初手で」だ。今、渡した脚本を、俳優は初めて演じる。試し読みの機会すらない。全くの一発目。でも、この初手が全て、と思ってやる。初見だから上手く出来ない、というのは一体、誰に対して、何を担保にできる言い訳だ。完成が無い以上、それは本番中でも稽古に過ぎず、最初の稽古でも本番に等しい。程度問題でしかない。それが本番である以上、初見だろうが百回目だろうが、程度の差、とにかく「成り立たせて」しまわなくては。

もしそれが「成れば」大きいままで、完成度の高い作品が出来る。

……最早、精神論をも超越した、オカルト的演技指導。斯くて、読み合わせの前は「初手でいきましょう」と声をかけるのが常となった。まあ、その具体的な成果はさておき……ともあれ、これは日常の、色んなところにも使える。

例えば銭湯に入っている時。僕は、チャキチャキの現代ッ子なので、おっかなくて水風呂には普段、入らない。なんでわざわざ、あんな冷たい風呂に! まあ、健康? なんだろうけど……。でもま、ちょっとチャレンジしようかな……と思ったその瞬間!

「初手で!」

心で唱える。もう逡巡は無し。今この瞬間から身体が動く。最短距離で水風呂へ真っ直ぐに。そして、全くのためらい無く、水風呂に浸かる。一切の動きに淀みなく。そこに水すらないように、歩き、腰掛ける。恐る恐る手をつけて「つめた!」とかいいながら手を引き様子を探る、なんてわけはなく、その対極。

そして僕は水風呂に浸かることができた。

様子見でも、牽制でもない、初手、王手。

慣れない料理。だが、慣れた人みたいに、卵を、両手でなく片手だけで割って、中身を落とし、綺麗に殻を捨ててみたい。今迄、そんなことはしたことない。が、やってみよう。何個か練習すれば、出来るだろう。卵に体する力加減、指の開き。小さい頃、両手を使っても失敗した、けど、今はできる。片手でも、何個か割ってみせれば……と思ったその瞬間!

「初手で!」

心で唱える。試し、ではなく、完璧な、力加減を想像、いや仮定、いや断定せよ。それは、わからなければ難しいことだろうが、わかれば難しいことではない。なら、わかれ! 最初から。わからなくても。わからなければ、必ず失敗する。わかったことにしてやれば、それが当たっていれば成功する。そしてそれは、何も根拠のない数値当てじゃない。自然な流れがあるはず。自然な流れを、掻き乱すとしたら、自分が蒔いた要らぬ恐れのみ。

そして僕は卵を片手で綺麗に割ってみせる(それぐらい、誰でも初手でできますか)。同じ方法で、野菜の千切りもできるようになった。

取り敢えずビール、ではなく、駆けつけ一番お会計、の精神。

2012年に国立新美術館で開催された『「具体」~ニッポンの前衛 18年の軌跡』展を観た時も「初手」について考えた(この作文はただの戯言ではなく、余所見の原則通り、ちゃんと作品評でございます)。

「具体」は初手が良い。仔細は忘れたけれど、具体結成前に、どこかの展覧会にメンバーがみんな「具体」という作品名で揃えてそれぞれ作品を展示した……これが具体の初手。その後、メンバーが「具体」を結成する。結成前から、足並みが揃って並々ならぬ。

また結成後に刊行された機関誌は、創刊号から海外に向けても発信された。数号出して「そろそろ海外にも送ろうぜ」ではなく、創刊号から。

これもって「具体」だけでなく、一見、相対に過ぎない、各種芸術の価値判断も出来る。初手が、効いているか。

「初手で」は、謂はば気持ちを締めるための、良い言葉なのだけれど、逆に言えば、残酷で、疲れる言葉でもある。初手が駄目なら、最早駄目、ということだ。終わりよければ全てよし、の反対で、始め悪ければ、全て悪し。しかもただの反対ではない。「終わりよければ」は、何時でも修正可能だが、「初手で」は、後で気付いても、今更反省しても、悔やんでも、挽回不可能。

今まさに、動こうとするその一歩、それが「初手」だと気がつける幸運はあまりない。

芸術大学に入ることが決まった頃。同じく芸大を志望する知人が「俺は卒業してから何になる、じゃなくて、在学中に何か成し遂げて見せる」と息巻いた。「そうか。がんばってな」と言いつつ。いや、遅いんだよ、お前も、俺も。俺たちは春から晴れて大学生だが、もう既に手遅れなんだ、これからでなく、今、高校生の時点で……。才気溢れる同世代を見てきた僕はそう思った。一体、何時、何処で、何を間違えて、今に至るのか。三十路も半ばへ差し掛かる頃、あまりにも手遅れな問いだ。

平穏な住宅街における通り魔の不意打ちにすら先んじる、初手を!