Thawing Glaciers

間も無く平成が終わる。へぇ……せー、と言葉遊びにもならぬほど、別にどうでもよいことだヘルマン。多くの人がそうであるように、元号に興味がない。西暦の方が合理的でしょ、とかね。また同じく多くの人がそうであるように、殊更に元号を憎むわけでもない。まあそういうものもあっていいし、次はなんだろね、とも思う。総じて、やはりどうでもいいこと。

今盛んに「平成」が振り返られているが(と言っても心からその話題に積極的な人はきっと少なく、例えば間も無く節分だから恵方巻きのコーナーを作って飾りつけせねば、実際どれほどの売上と利益をもたらすかは別としても、といったこととして)、元号をもって時代を考えるのはあまり意味がない、と考えている。例えば、この30年、という尺度で時代を考えることはできるだろう。その更に30年前と比べるなどして。でも元号は同じ年数で区切られるわけではない。直前の昭和は平成の倍以上もあり、かと思えば大正は短命に終わりけり、いづれも比較にならない。為政者の交替によって変わるなら、年数はまちまちでも意味はあるかもしれないが、代わるのは象徴なるものでしかない。そして象徴だからこそ、何も変わらない(何か変われば象徴ではない)。

昭和、は今や前時代的程度の意味合いで使われるが、平成元年に何か具体的なことが起こって世界を前後を切り分けたわけでもない。生活を一変させる革新的な技術の発明と運用を記念するものではない(技術の革新や普及の時機を、時にその元年と呼んだりするけれど、本来の意味の方が強度に劣るわけだ)。それは、印象の問題でしかない。世間で語られる多くの平成に対する印象は、実は平成の後期のことでしかなかったり、昭和っぽいと思いきや平成の最初辺りであったり。昭和もまた、六十数年間のそれではなく殆ど「終戦後」みたいな意味で語られる。やはり物差しとして用いるには余りに品質が不揃いだ。或る批評家が以前「平成も早三十年だが、あれやこれやの旧い各種社会問題は未だ解決されぬまま引き摺り続け、現在は昭和の九十年代と考えた方が適切だろう」みたいなことを言っていて、成程御説御最も、と一瞬思ったけれど、よく考えればごく当たり前のこと。昭和であれ、或は西暦であれ、一直線に伸びる時間軸にかわりはない。平成7年辺りに解決した昭和41年頃の問題もきっとあるだろう。また別の批評家は、新聞社が企画した「平成の30冊」云々のアンケートに対し、幾つか海外の本を取り上げていた。それもまた(以下略)。云々。

終わり、新しく始まるというのなら、どうぞご自由に。だが僕には、僕だけでなく時代の本質にも、別段関係のないことだ。

……………と、以前なら思っていたのだけれど。

ごく最近、少し考えが変わってしまった。

意味も根拠も必然性も無い、ことにこそ、だからこそ、本当に柔らかい部分を突き刺しかねない危険性を持ち得る。真に恐ろしく、実に運命を左右するのは、因果応報ではなく、通り魔の不意打ち。

平成なるものが終わる、というのなら、それは終わるのだろう、本来は無関係な、様々なものを意味もなく巻き添えにして。これを機に、もののついで、がてら、もっけの幸い、行き掛けの駄賃、とばかりに。

漫画でよくある、強者同士の決闘が不意に始まるシーン、静かに対峙する実力伯仲の二人が、暗黙のうちに了解し、臨時に設定される開始の合図……それは木の葉の落ちる瞬間であったり、鹿威しが音を立てる瞬間であったり、元号が変わる瞬間であったりと、それ自体には深い意味も関与もないが、それ自体を境にして、一人は死に、一人は生き延びるのだ。

そして、平成は時代尺度とならない、僕には関係ない、と冒頭に繰り返し書いたが、恐ろしいことにそうでもない。

平成は、うっかり僕の全身を、帯に襷にピッタリのサイズで包み込んでいた。

「如何にも平成の人」とは、平成元年に生まれた人のことか(平成くん)。果たしてそうではないだろう。元年生まれは肝心要、平成の初期を乳幼児として朧に過ごし、その記憶は多く残らない。一方、そも平成の象徴たる当人も、人生の半分以上は昭和を過ごしている。その象徴と同世代の人は、むしろ典型的な昭和の人として形容されるであろう高齢者だ。彼らは到底、平成の人とはいえない。

一方、僕は1982年4月生まれ。平成を迎えた頃は、小学校就学の直前。既に物心ついて久しく、平成元年生まれ如き序盤の抜け落ちはない。陸上競技に例えれば、既に十分な助走を終え、平成が始まった瞬間に丁度フルスピードへ到達、そのままそれを維持できる限界の31年間を走りきった計算になる。僕よりコンマ一秒でも早く生まれた人は、平成の序盤を不十分に過ごし、遅く生まれた人は平成が終わらぬうちに息切れを起こし、未だ記憶に新しい昭和と相対化して捉える。

まさに、まさか、僕が純粋ミスター平成だったとは……。

そして、ただ単純に丁度平成に居合わせた、だけではない。この平成の間、僕の生活には全く変化がなかった。平日は毎日、朝起きて、ほねっこ食べて、何処かに通って何かしらの作業に従事し、それ以外は遊ぶ、その繰り返し。通う何処かが、学校か職場かの差であり、そして実質その差はない。また何処にも通わない空白期間も無い。住む地域も変わらず、家族も死なず、生まれもしない。平成の31年間、一度たりとも元号が変わらなかったように、僕の人生も絶え間なく、変わりはない。

その平成が終わるという。ならば、僕の変わりない生活にも、いよいよ終わりが訪れるかもしれない。実のところ、本当に何も変わりがない人生はあり得ない、ということは実感こそなくとも知識としては理解している。そしてこれから起こる必然の変化というものは、控えめに言って、良いものではない。固く結んだ約束を反故にし、墓場まで持っていくはずだった秘密は漏洩、後遺症だけを残して被害も加害も時効が成立、諦めきれず腐っても尚、取るだけ取って置いた諸々を、いよいよ放棄する時。

新しい元号は、さしあたり先ず、僕の親を殺すだろう。親だけでなく、知る全ての老人は、新しい元号のもと一人残らず死に絶える。この時期を生きる老人にとって新元号とは、等しく与えられた一律の戒名に他ならない。高齢者だけでなく、同世代の知人や友人たちとて、何人かはその凶刃に倒れるだろう。彼らと在りし日の穏やかな平成の日常が、そのまま「死亡フラグ」(この言葉はあまり好きでないけれど)の役割を、結果として果たしていのだ。

そして、この新元号の時代を無事に生き延びたとしても――それはひとむかし前のビデオゲームによく見られた「強制全滅イベント」を、何らかの裏技や力技を使って無理矢理回避して生き延びても、画面がひとたび切り替われば結局は既定路線というように――また30年もせぬうち、新しい元号へ再び変わり、今度こそは確実に、僕はそいつに殺される。その殺人鬼が後ろに控えていることははっきりとしているのだ、その名前を未だ知らないだけで。

何故、一直線を等速に進む時間というものに、不規則な固有の名前を与えてしまったのだろう。例えただの壁の染みであっても、目と口を見立てれば人面としてひとつの表情をなし、その表情から複雑な感情までも見出し、名前を与えて呼べば魂が生まれる。軽はずみにそんなことしてはならない。そんなことさえしなければ、僕は一年、また一年と、ただ数値の増加とともに緩やかに老い、必要に応じて変化もし、尽きれば終わるだけの話だったのに。元号なるものの意味のなさが、その無意味な振る舞いによって31年間をも凍結させ、そして今更、融けてゆく。

大丈夫。シナ通の攻略本だよ。 / 上海游記 一

先日、上海へ行って来た。ただの家族旅行だが折角大枚をはたいて行ってきたので、旅行記でも書こうと思ったけれど、果たしてそんなもの誰が読むのかと思い、書きあぐねる。奥地や秘境でなく飛行機で直行三時間弱、隣国の大都市、上海。日本人の最もメジャーな渡航先の一つとして、本屋に行けばガイドブックは幾らでもあるし、同じく検索すれば旅行記も多数出てくる。上海のことなど、僕が何か言うまでもなく、すぐに知れる、みんなもう知ってる。或は、そもそも、みんな上海くらい疾っくに行ったことあるのではないか。「上海行ってきてーん! こんなのあって楽しかったよー!」と喜んで旅行記を書こうものなら「あらそう……良かったねえ」と、今更こいつは何を言っているのかと、そんな程度で楽しんでいるのかと、哀れ呆れられ飽きられるのではないか……という被害妄想。

と言うか僕自身が、他者の旅行記は勿論、そもそも海外旅行自体あまり興味がない。元より花鳥風月玉姫殿の類を愛でるような感性無く、自身の日常生活を伴わないまま名所の表象を眺めてたところでしれたこと。名所絵葉書の実地確認と複製作業。こうしたイメージ通りの「観光」に良い印象を持たないし、その程度で得られる経験を殊更に異文化に触れるといって大事にしたくもない。まあ、別に旅行も異文化も悪くはないが、それよりも他に大切なことがごく身近にあるだろう(盆踊りとかね。この旅行で行けなかった櫓も多数)。

韓国の釜山には何度も行っているし又行きたいけれど、これは両親の故郷であり、今でも親戚が住んでいるためで、単に田舎に帰る、帰るのが楽しみ、ということに過ぎない。中国には数年前、山東省の煙台へ行ったが、これも祖父の本籍ということで、一応自分とかろうじて結びつく、旅先への根拠はあった。今回の行き先、上海には何の縁も無い。行く理由がない。中国の古い文化には興味があるけれど、それならば、共産党指導下その文化を革命し、急激に都市化する現在の中華人民共和国ではなく、台湾や香港に求めるべきだろう。

しかし、ともあれ、上海に行く、ということは決定されたので、折角だから無駄にならぬよう、自分と全く無縁の上海を結びつける何かは無いか、と旅行前は探していた(別に、理由なく楽しめばいいんですけどね。貧乏性故)。そして、ふと思い出したのが、半年くらい前に実家で拾い読みした一冊の本だった。探すまでもなく、既に上海に関する本を偶々読んでいた……それを端緒に、上海へのただならぬ関心事を、大別して三つ見つけることができた(「広場舞」についてはまた別として)。なので、日程に沿った旅行記ではなく、この三つに即し三回に渡り作文する。本稿はその一。


半年程前のこと。姉の残した「ベルサイユのばら」も読み終えて、いよいよ実家で暇を潰す本が無くなった。そこで漫画から目を転じ、父の書棚を漁ることにした。父が読書する姿はあまり想像できないが、一応料理人なので昔から料理書が少数ながら並んでいる。自宅でラーメン屋を開く際に参考にした業者向けの本などは、全国各店売筋のラーメンなど写真も多く、空腹を慰めるのにも良いし、約二十年前と今では流行が違うので眺めていて楽しい。そうした大判薄手カラーの本の他に、函入りで重厚な装丁の四六版も数冊並んでいた。即ち「中国料理技術選集」(柴田書店,1982年)である。巻末に曰く中国料理技術書選集は、中国料理の技術の向上を主題にして、柴田書店の書籍のなかから厳選された二六巻二九冊の特選セットを提供するものである。家にあるのはその内の数冊程度で、いづれも戦前の本を復刊したものだった。

その一冊の題が「支那風俗」。果たしてこれが、その著者である井上紅梅(1881-1949?)と最初の出会いとなった。が、この時は著者のことが気にかかりつつも、先ずは中身の面白さに夢中になった。復刻版は全一巻だが、元の書籍「支那風俗」(上海日本堂,1921年)は上中下の三巻であり、更にその元となるのは不定期刊行雑誌「支那風俗」である(雑誌といっても後に紅梅自身が「ひとり雑誌」と語るように、ほぼ井上紅梅が記事を書いている)。従って柴田書店の復刻版は、その凝縮のまた凝縮ということになる。前述した題目に「中国料理の技術の向上」とあるが、本書は料理それ自体にのみ即したものではなく、書名の料理以外の中国民衆文化についての章も多い。専門料理書と言えないが、租界時代の上海における貴重な実録ということで、他の実用的な技術書に連なり選ばれたのだろう。

本書所載の一章「上海料理屋評判記」は、上海租界時代の所謂「食べログ」。と言っても、地図も写真も無く、前半は座談形式、後半は料理の列挙とひたすらテキストが続くのみで、なかなか情報を通覧しにくい。けれど、

上海の寧波館はうまくもまづくもない所謂あたりまへの支那料理を食はせられる處で価格も総体に安い。本来この料理は海の物を得意としているのであるが、福建ような技巧はない。(中略)大宴会には前廳後廳等の廣い席があるから好くこの菜館が利用されるが、そういふ時にはいつも買辦や西嵬のコンミツシヨンを食はせられるようなものでいやもう閉口閉口。

といった文章は如何にも食べログっぽい……ということで、いつか何ぞの話のネタにしよう、と思っていたままスッカリ忘れていた……ところを、自分が実際に上海へ行くことになり、そうだそうだと電撃的に思い出した。早速、井上紅梅について改めて調べたが、これが滅茶苦茶面白い。面白いと言うか、さっき初めて知った人なのに、今迄ずっと探し求めていた人のような。そんな感覚はとても久しぶり。

絵葉書蒐集家には御馴染みなれどその生涯は長らく謎だった探検家菅野力夫(1887-1963)や、大阪の竹久夢路といわれた波屋書店の画家宇崎スミカズ(1889-1954)など、大正から昭和初期にかけてユニークな活躍しつつも、現代の世間一般には忘れ去られた人は多い。井上紅梅もそうした一人といえる(この時点でもう魅力的)。忘れ去られたといっても(菅野や宇崎も同じく)斯界の中国史学者間では有名人物で、1970年代では三石善吉が雑誌で紹介したり、比較的最近では勝山稔が詳細な研究によってこれまで不明なが多かった井上紅梅の生涯を膨大な資料によって明らかにした。更に相田洋が近著でその成果を引きつつ検討もしている。そうした学者の他に、麻雀好きにも名前を知られている。日本語の文献で初めて麻雀(もーちやあ)を紹介したのがこの「支那風俗」だからだ(これは柴田書店の復刊版には収録されていない)。

井上紅梅を敢えて一言で紹介するなら「シナ通」となる。文字通り「中国に詳しい人」の意であるが、この時代では様々なニュアンスを背負っていた。勝山論文の註から引用する。

「シナ通」は中国語を解し中国社会に精通した中国愛好者を指し、大正時代から昭和戦前期に活躍したが、その視野の狭さから趣味人の範疇から脱却できず「安易な中国紹介のゆえに、のちのちまで軽蔑のマナコで見られるようになった。」 (三石氏「後藤朝太郎と井上紅梅」)という見解が一般化した。

勝山稔「改造社版『魯迅全集』をめぐる井上紅梅の評価について」

先ず、そもそも「シナ」が趣味愛好探求の一つの対象、ジャンル足り得ることであったのが面白い。古来より隣国として長い間、交易やら戦争やら(歴史に疎いのでよくわかりませんけれど)そもそも漢字、ということでそれなりに中国のことを知っていた、イメージはできていた、と思うのだけれど、こうして一般人まで行き来し居住もするようになり、初めてそれが一つの、未知なるも解き明かすべき大きな「系」として現れたのか。何となく想像できるような、今では実感しようがないような、むずがゆい感覚。まあ現代においても、急速に発展する中国の事情を紹介する人は重宝されている。例えば近年中国に関する多数の著作で注目を浴びているノンフィクションライターの安田峰俊氏は、現代の「シナ通」と言えるかもしれない。

が、そうした大いなる「系」の前に「シナ通」が蔑称へと転じる。怪しさ、胡散臭さ、軽薄さ。「あいつは所謂シナ通だ。言っていることは信用できない」といった風の言い回しがあったらしい。ひとつの国や都市に対し、学者でも政治家でも文学者でもない、ましてジャーナリストでもない、ただの趣味人として表層の華やかで美味しそうなところばかりを象る……しかし、そうした態度こそ魅力的に感じるし、共感するものがある……それは僭越ながらというべきか、或は自虐になるのか。

しかし、井上紅梅はただ底の浅い「シナ通」では収まらない。支那の五大道楽(吃、喝、嫖、賭、戯。所謂「飲む打つ買う」+観劇)を巡って放蕩する一方、まだ日本の文壇で魯迅がそれほど知られていなかった頃に、一挙26篇を翻訳・収録した「魯迅全集」(改造社)を出版した(現在「青空文庫」に収録されている魯迅の小説は全てこの紅梅訳)。他にも多くの中国文学(白話小説)を早い時期に翻訳し、日本に紹介している。ただ、この「魯迅全集」の翻訳出来について、当の魯迅から酷評を受けたことが井上紅梅の現在に至る評価を決定付けてしまった。「シナ通」というレッテルの悲劇。そこで勝山は紅梅訳を精査してその翻訳水準を再評価し、魯迅の酷評は必ずしも妥当ではなく別の事情もあったのだろうと前出の論文で結論づけた。が、相田によると、やはり紅梅は「シナ通」故に魯迅に嫌われたのだろうと見ている。

現在、井上紅梅の本は一般の書店には流通していない(魯迅の翻訳はあるかも)。著作権継承者がいない。Amazonでは電子書籍で代表著作の一つ「酒・阿片・麻雀」(萬里閣書房,1930年)が販売されているが、これは国会図書館のデジタルライブラリーを元にKindle形式にしたもの。販売者は副題に「井上紅梅の中国嫁日記」とつけている。流行り文句を勝手に副題とするのは関心しないが、言い得て妙なのは確か(奇しくも両井上)。この本は、井上紅梅が(支那風俗の研究の為に!)中国で結婚した女性との南京での家庭生活を綴ったものである(正式には結婚していないのだけど)。上海では郊外に宿を取ったため、毎日地下鉄二号線に長時間乗る必要があったが、ずっとこれを読んでいた(電子書籍を読み切ったのは殆ど初めて。タブレット買って良かった)。随筆や紹介記事というより、私小説の趣き。登場人物のせりふは日本語に訳されつつも要所で中国語がそのまま交じり(この体裁も好み)、章末ごとに語註として解説される。中でも最も印象に残った、「魂の置き去り」という章の一節を次に転載する。紅梅宅ご近所の話。

 三人の子供の外に最近又一人子供が出来た。それは二番目の娘だから二姑娘(あるくーにやん)とよばれた。二姑娘はひよわい質で夜鳴きばかりしてゐる。それにときどき引きつけることがある。夫婦は心配して夜更けに起きた。

二姑娘回來家來阿(あるくーにやんほゑらいちやーらいおー)

と遠くの方で蚊の鳴くような聲がする。

來家阿(らいちやーおー)

と又聞こえる。そうしてだんだん近寄って來る。

子供の病気は魂の置き去りだと言ってゐる。そこで嬶どんは魂のありさうな所へ行つて、子供の着物と靴を竹竿に懸けて持ち、おやぢやは提灯下げて、白米、茶の葉など沿道に撒きつつ一呼一鷹して帰る。

「回來家來阿」は「帰っておいで」、それに続く「來家阿」は「帰って来ましたよ」の意で、親が娘の魂に代わって答える。夜更けに父母が二人、服を竹竿に吊るし、声をかけながら米と茶を道に撒いて歩く様子は、まるで昔観た映画「霊/幽幻道士」の世界そのままだが(そのままの世界なんだけど)、両親はその後、娘の魂を無事見つけられたのか、これについては語られない。

既に新刊流通はしていないが、うみうし社という謎の出版社が「中華萬華鏡」(改造社,1938年)を1993年に復刊している。編集発行者としての前口上はなく、復刊の意図は不明。「中華萬華鏡」自体も、井上が各所で既に書いたものを若干補足して再録したもの。だが、それだけに読みやすい(うみうし社は他に「ジェルヴェ医官中華帝国に在り」という謎の本を出版しており、これも面白そう。そして、この2冊しか発行していない模様)。


井上紅梅の知られざる多様な業績を、僕がこれ以上紹介するのは荷が重い。なので、最早蛇足ではあるが、当方の実旅行記へと無理矢理結びつけていこう。「上海料理屋評判記」他に頻出する繁華街通り、四馬路(すもろ)へ。上海の中心部、人民公園の中心辺りから東へ伸びる道で、本来の名前は福州路という(この辺りの事情も支那風俗の一章「街の替え名」に書かれている)。特に意識せずとも普通に観光していれば自然に通りかかる。現在は書店と文房具屋(の関連か、何故かトロフィー屋が多数あった。問屋に相当するのかもしれない)が密集している。上海最大(多分)の書店、上海書城もここに位置する。

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四馬路(福州路)

この近辺は観光名所である南京路をはじめ、当時の建築が多く残っているが、四馬路に関しては再開発が進んだのか、それほど面影がない。かつてここには多くの茶館が軒を連ねていたという。その代表が青蓮閣

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青蓮閣

百度を駆使して調べるに、現在の外文書店がその所在地だという。外文書店は文字通り外国書籍を扱う書店ビルで、日本のアニメイトなども入居している。

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外文書店

青蓮閣は、複数あった有名な茶館の中で、とりわけ規模が大きいわけではなかったようだが、立地と古さで四馬路の顔となった。最も紅梅によれば余りに有名な茶館故田舎者の行く處で氣の利いた支那人はこんな處へ近寄らぬと書いている。百年前から既に観光客しかいかない観光地みたいな所があり、そうしたところへ百年経っても観光しに行くのだからなんともはや(そういうことは上海で何度もあった)。

かつてこうした茶館には多くの人が集まった。……というと、そりゃそうだろう、現在でも「カフェ」は単にコーヒーを飲んで帰るところではなく、人が集まるコミュニティの場所……と思うが、当時上海の茶館にはもう少し広い意味があったようだ。先ず朝方は取り敢えず一服して時節の情報を得る新聞代わりの場所であり、昼は商談の場所(単に業者間の取引に使われるだけでなく、耳を澄ませて商機を探すという場所でもあった)、夜は野鶏と呼ばれる下層の娼婦たちがそれを求める客と逢う場所、と広い役割を担っていた。当時の中国では自宅に人を招くということはあまりないみたいで、ちょっとした応対にも茶館は欠かせなかったという。現在に置き換えると、何の店に相当というより、幅広い役割を考えるとインターネットそれ自体(と接続端末)のようでもある。

茶館の壁面にはメニューの他に、当局による「禁止講茶」という貼紙があったという。「講茶」とは、「講和」からイメージしやすいが「喧嘩する人同士、一緒にお茶を飲んで、仲直りする」という意味である。それを禁止どころか、茶館としてはどんどん仲直りに当店をご利用ください、と推奨したい立場ではないか。しかしこの講茶というのは建前で、逆に喧嘩を広げ決着をつけるのがその実態。街頭で喧嘩が発生した際、あすこで話をつけようと、自分の仲間が多く常駐している茶館へ連れていき、多勢に頼って決着をつける。又は仲間がおらずとも、道理を衆目に訴え世論を味方にして決着させる、という意図も人によってはあったようだ。こうした利用も考えると、やはり茶館に相当する場所は現在に無く、インターネットが近いように思う。楽しそうな場所ですね。

……と、色々書いたが、全て紅梅とその研究者の書籍より引いたもの。次々と中国民衆文化のあらましを披瀝する紅梅自身も、非常に博識に見えるが、実際は専門家からの聞き書きと、紹介という名目での漢籍をそのまま翻訳、という性質も強い。勿論、それも見識の一つであるし、何よりそのセンスがよく、現代から見返せば恐ろしく先見性があった(中国文学の受容史を専門にしている学者にとっては特に)。(巷間に現れる王朝の滅亡に関する予言。童謡が有名だが、他に骨牌という中国版ドミノの遊戯法に現れるものが紹介されている)の話、海底問答(中国の秘密結社青幇の構成員が、旅先の土地で仲間を探るための、符牒による問答。先ず茶館にて茶碗の蓋を碗の側面に寄せ掛けておき、土地の構成員から見つかるのを待つ。少年サンデーの古い漫画「拳児」(原作・松田隆智,作画・藤原芳秀)にも描かれていることで有名)の話など、まだまだ拾い読みしかしていなくて、紅梅について調べるのは帰国後の今が本腰。楽しみ。

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紅梅の写真は殆ど残っていない。これは「支那風俗」の扉にある著者像(石井柏亭画)。この如何にもディレッタントな佇まい、格好良ー!

※ 「シナ通」の表記は相田洋の著作に準じた。

沈黙にファンファーレ

はっきりと意志を示し声を上げていくことが重要な問題や局面、は多い。また、取るに足らない自明のことであっても何処かでちゃんと明言しておくことは、暗黙の了解を求められることが多い中で、誰かを助けることになるかもしれないし(ちょうちょむすびのやりかたとか)、複雑化する物事の中で確認や整理など自分にとっても役に立つ。そんなことは言うまでもないことだ。……と言ったそばからいちいち断りたくなるけれど、たとえばこの作文のように、まあ記しておく。

けれど、何も言わない……沈黙が最良で正しい選択、ということも、それなりにある。かの有名な漫画の場面に「沈黙が正しい答え云々」とあるけれど、まさしくそうだ、と引きたくなることも日常の折々に多々(逆に本家の漫画でこのシーンはちょっとよくわかんねえ)。

沈黙がよい、というより、そもそも「その問題自体が余計なことを言うことで発生した」ことも多い。秘密の漏洩はそのもの。また当世流行の舌禍もその最たるものだろう。この言い訳として、内心と表現の自由が駆り出されたりする。そうなるといささか話はややこしくなり、まあこの際その気持ちを抱くこと自体はわからなくもないし自由だが、よりによってその場所その立場で、何故ただ単純に黙れなかったのか、と結局そこが問題となってくる。だいたい、それを言ったところで何か解決や望む方向への変化でもあるのか? 本質は思想信条にあるとしても、表出する問題の首根っこを掴んでいるのは沈黙であったりする。

一見堂々と声をあげて立ち向かうべき問題、についても——これは「沈黙するのが賢い、怪我しない」というしたたかな立場を推奨する意味でなく——声を上げることで、声が通る意味の限りで対立構造や陣営が固まり、そのどちらかを巡って不毛な戦いが始まり結局共倒れする(結果、本題とは別に、ただただ騒動を好む外野の好奇を満たすのみ)——くらいならば、口を閉じたまま、様々な意見や情報に目を通し耳を傾け、ただ最善を行動する、方が良かったのかも、ということもあるだろう。少なくとも、初手からわざわざ立場を表明することはない、その必要はない。その立場であった、としても。

沈黙という選択肢は、自分が、だけでなく、他者の沈黙を守ることも意味する。ありがちな例として、他人に対し「男か、女か」を問う……真正面から聞くというより、各種書式の必要項目として、よくある。しかし最近では男と女に限らない性別もあるらしいぜ、じゃあ三番目の項目を設けてあげるのが今の時代の気遣いじゃん、どんな項目名にしよう? 場合によっては四番目の選択肢もあった方がいい? ……などと考えるくらいなら、そもそも性別を聞く必要があるのか、から考え直した方がよい。今はポリコレとかいって言葉遣いに気を遣わなければならないから大変、じゃなくて、そもそも必要でないことは(多く、必要はない)問わなくていいし、相手にも答えさせなくてよい。

問う立場でなくとも、もっと身近なこととして。例えばTwitterで「これ書こうか、書くまいか」と考えることがよくあるけれど(恥ずかしいことに)、そもそも全て、書く必要のないこと。アカウントが無ければ書けないのだし。とは言え、普段から色々書いているけど、少なくとも迷った時点では書かないようにしつつ、迷ったこと自体が滑稽なものだとその度に自分を嗤う。他愛ないことを言うのも大切で自由だけれど、多くは「そもそも言う必要のない」ことを、忘れがちではある。

他のジャンルだと黙秘権というものもある。実際に取り調べされたことないのでよく知らないけど「救援ノート」によれば、逮捕された時は黙秘一択。なるほど、仮に正当性を説明できる自信があっても、また単純に明らかな冤罪で「やってない」とだけ言うにしても。取調室という密室の異常空間で、いったん顕われた言葉と意味は如何様にでも変質していく。0”ですら加算される危険あり”null”に徹するのが最善。

あと、僕はお上品故に下品なことが嫌いなので、それについては一切沈黙して欲しい、と考えている。下品なことというのは、その述語に限らず、単語が表出するだけで様々な不快へと巻き込んでいく。今回だけ沈黙に対するメタ説明なので、特別に言うけれど、下品のわかりやすい例は「うんこ」ですね。うんこがどうしたああした、という以前に、うんこ、と単語が表出するだけで実に様々なダメージを負う。これについて多少は一般常識として守られているので、かなり嫌なやつでも食事中には余程狙わない限りうんこの話はしない。ところが一方で、うんこを忌避する態度を取ると「うんこは大切だろう。うんこ生命活動の必然だろう。お前はうんこしないのか?」等と、ここぞとばかり嬉しそうにうんこを連発して責めて来る連中も一定いる。確かに下品なことというのは、得てして大自然における生命の根幹と真理を握っている、と言えなくもない。捉え方によっては、下品なことを忌避する僕のような態度が、とても不自然で爛れた文明人の奢り、にもなるかもしれない。そして現代芸術などを見ていると、むしろ広義の下品さと無縁なものの方が少ない(何せある種の現代美術はデュシャンの「泉」、便器で始まる)。逆に言えば「お上品」は前近代的な幻想に過ぎず今更毒にも薬にもならない。芸術作品であるからには何かしらを問わなければ意義がないので、極端にいえば何処かで下品さを含まなければ芸術にならない。まあ、そうだろう。しかし、そのためには「作品」という完結性をもって、一旦の現実世界から距離を置く必要がある。というか、僕はそう求める(なので余談ですが、僕は作品と観客の境界線というものを重く見ている)。その境界を、一定の沈黙で埋める必要がある。

ところで僕にとってこれら沈黙に対する所見は、例にあげたような各種時事社会芸術問題よりも、むしろ会社での日々の仕事で得た感がある。無能な割に、社内や客先に対しこうした方がいいのでは、ああした方がいいのではと逡巡して徒に時間ばかり費やし、半端で余計な選択肢を無闇に増やしては現場を混乱させる。勿論、そうした気配り自体は悪くはないし、各種の可能性は想定しておくべきではある。判断材料や選択肢は多ければ多い程良い。けれど、黙る時は適切に黙っておく、ことも大切。

まさしく、沈黙は金。サイレントが最善手。

なのだけれど。

沈黙を守るのは難しい。

まず単純に、人は表現する生き物であり、その内容の是非や損得とは全く無関係に言葉を表出させる。裸の王様の耳はロバの耳という寓話もある。人の口に戸は竹立てられぬのは竹立てかけたかったから竹立てかけた。明らかに愚かで考え無しで理解し難い失言や舌禍の類も、その発生にはメカニズムがある(らしい)。失言によって衆目に晒されるのも一種の快感かもしれない、無視されるよりは。まあ、この手の人間の業については周知の通り。

しかし、もしやそれ以上に。沈黙を「守る」という表現からわかるように、状況によって雄弁より大切なことのはずだけど、沈黙それ自体は見えにくい(そりゃそうだ、見えなくしているのだから)という沈黙特有の事情もあるのではないか。「よしゃー、今日は声を出していこうぜー! エイエイ、オー!」というのはあるけれど「よっしゃー、今日は沈黙していこうぜー! エイエイ、シーン……」という状況は考えにくい。

コンサート会場などでは沈黙は遵守項目となる。しかし、それも飽くまで小言の類として扱われる。今、応援上映・マサラ上映といって、楽しく騒ぎながら映画を観るブームがあるけれど、これがむしろもっと人気出て標準化して欲しい。するとしばらくして、時折「黙って静かに映画を観る特別上映」が企画されるかもしれない。この時は、沈黙が積極的な意味で語られるかもしれない。「よしみんな、映画が始まったら一斉にシーン……でいくぞ!」みたいに。

僕自身、以前は「とにかく何事も言葉にしていくこと」を至上として正当化していった。あらんかぎりにあらんことを。あることのあらし。そこで生じる誤解や齟齬も、更なる言葉を上積みすることによって解消していく、という理想。また事前に言葉の限界を予め織り込んでおくことで、そもそもの誤解や齟齬の発生に余裕を持たせる。流石にそれだきゃ言ってはいけない言葉など一定基準を設けては、言うべき言葉も萎縮する。全ての言葉を許容する。「〜が憎い、嫌い」という発言に益は無いし、単なる私的な気持ちの表明だとしても、発言だけでその対象を充分に傷つける。かといって適切に、それを奥底に仕舞い込んでは、その憎しみが問題化されず、原因も対処できず、解消の可能性もなく、そしていつか無言のままでその対象を直接的に傷つけるかもしれない。それならば……と。

しかし、これも加齢の影響か、或は。ともあれ、最近の変節の一つ。まあ、勿論、ケースバイケース。冒頭の通り、多くの場合は発言することが重要であることが前提。そして時折は、沈黙の選択肢について考える。僕はこれを声に出して紙に書いて語るべきか、或は、沈黙するべきか。沈黙という消去的選択、しかし実際に発言するその直前までは、誰もが沈黙を選び取っている。当たり前だけれど。全ての発言は、沈黙を破ることによって始まる。では沈黙は何によって始まり、そして何によって終わるのか。

どうか沈黙という門出にファンファーレを鳴らしてほしい。皆勤賞のように皆黙賞を制定しみんなの前で讃えてほしい。禁煙支援アプリケーション(?)の「おめでとう、今日で禁煙何日目! 煙草を買う金でベンツが買えました。この調子でがんばって!」というように沈黙の成果を明確に定量化して評価してほしい。時折、謎の紳士が物陰から現れては「今迄よく沈黙を守り通してくれましたね。どうかこれからもがんばってください」と手を固く握ってすぐに去ってほしい。

沈黙を守り切れず、沈黙についての沈黙を破る。

死ぬのが怖い

死ぬのが怖い。そりゃ誰だってそうだろうけれど、事故や病気など直近に想像される具体的な死のことではなく「誰しもに何時か必ず訪れる、死、そのものについて」だ(寿命以外の事故や病気での死なんて論外、想像の範囲外)。自分の人生の充実度や幸福度とも関係無い(そんなもん関係させたらもっとやばい)。死という完全なる終了(霊とか死後の世界も無いっぽい。それを信じれたら多少ラクなんだろうけれど)、それに比しては大き過ぎる今現在の生の自我(思いつく限りのその全て、は自我に属する)、その落差にも関わらず、避けられなさ。バランスが悪過ぎて配慮に欠けている。これまで大抵の嫌なことは、駄々こねたり知らないふりをしたりして、避けてこれたのだし。最後にそれってあんた。

このように死を恐れることについて、あまり共感は得られない。同じ気持ちを抱える人達と死の恐怖を語り合うことで少しでも気持ちを紛らわせたいけれど(逆に、死にてー、とかいう奴らにはコミュニティがありそうだ)みんな、いつかは死ぬことそれ自体については折り合いをつけていやがる。本当なのか。単に、想像が及ばないだけかもしれない。死、それ自体は当然ながらあふれているし、この年齢になると近親者や同世代の知人ですらも亡くなっていく。物語にも、その性質として現実以上に多数の死が描かれる。フィクションでは概ね、潔く死ぬことは良く描かれ、みっともなく死を恐れることは悪く描かれる。なのでみんな、死、そのものについては受け入れている。本当か噓かはともかくとしても、むしろ気楽に自分の死を捉えている(覚悟の差なく訪れるのも死の怖さ)。

でも確かに、病気や事故ならばともかく「死にたくないよー!」と叫び恐れ戦きながら天寿を全うする老人、というのは聞いたこと無い(やなせたかしはそれに近かったらしいが)。

僕がすがる希望は、年を取るにつれ、心の底からこの達観に至るのではないか、ということである。今は怖くても、死ぬ頃には迎え入れる準備。しかしながら、最近のご老人は健康で、例えば職場でも還暦過ぎた人たちがごろごろ再雇用されていて、何の違和もなく一緒に話しながら仕事をしたりする。日常においては、感性や人格に差を感じない。こりゃどうも達観どころではない。しかし、この人達は僕と違い、あとほんの十数年で、高い確率で死ぬのだ。逆ならやばい。仕事なんてしてられない。膝を抱えて震えている。

もう一つの希望は、なんだかんだ言ってまだわりと先(多分)ってことだけだ。しかし、この希望こそが罠。今迄の人生で「まだまだ先だー」と思ったものが「いやー、あの時まだまだ先だと思ったことが今日だもんなー」という体験が、どれだけあったか。未来といっても、未だ来ないだけであって何時か必ず来ることが既に確定された、最早過去の如き体感速度。

……と、思った瞬間、高鳴る鼓動。今迄の自分が経験してきた未来の過去感覚をもって、今まさに死にゆく自分に縮地し、普通以上にリアルな想像をしてしまう。目前に迫る完全なる無、その先は想像できない、想像という概念すら無い、自分がいない……あらゆることは間違っていても想像は出来るが、想像する自分がもういないとはどういうことだ……無理無理、そんなの耐えられない、死ぬわ……って、だから死ぬのか。時々、この状態に陥り、苦しい。


こうまで死が怖いのは、最初に書いた通り死の無に対し相対的に生の自我が大きい、ってことだろう。エゴイスティック。もし生きることが、もっと朦朧状態であるなら、或いは単に過酷であれば、その過程で死を、少なくとも恐れはしないかもしれない。動物はそうかもしれず、また人間も昔はそうであったろう。現代人特有の、死の恐怖。

また、(概ね)一人で生活していることも関係するかもしれない。一人でいると、知覚の全ては自分のみに還元されるから、自我が肥大化する。僕は死を恐れているだけで、世間でいう所謂「孤独死」を、特段に恐れるわけではない。誰でも死んだら同じ、その同一性がこそ死の恐怖であり、孤独か否かは関係無い。が、孤独が死そのものを強調する、ってのは、ちょっとこれまで想定していなかったリスクかもしれない。

……でも書いてて、それこそ普通とは逆って気もしてきたけど。「俺が死んでも悲しむものはいない(故に死を恐れないぜ)」ってのはフィクションでは定番のせりふ。


特にオチはないけど、死の恐怖を紛らわせるために書きました。「私も死が怖い!」って人がいたら教えてね。

続き。

つゆゆううつうつつ

アフリカや東南アジア、所謂発展途上国、でなくとも(行ったこと無い)ほんのすぐお隣、日本と似たり寄ったりな韓国や中国ですらも。街道では沢山の露店が活況、地べたにまで果物や商品を並べている。簡素な屋台が並び美味しそうな料理がその場で調理され、あちこちで煙が立ち上っては中空へ消えていく。トラックの荷台には白菜が山のように積まれている。集合住宅の一棟ごと階段前には多数のダンボール箱が積まれている。これは通信販売等の荷物で、日本の一軒一戸訪問して直接手渡し、じゃないアバウトさ。

潔癖で神経質な、チャキチャキの現代ッ子である僕としては、こうした生命力に満ちた、何もかも「むきだし」な街を目にするたび、わあいいですね、と毎回思ったりする。こっちの方がラクでいいよ、とか。

で、これも毎回だけど、その後「雨降ったらどうするんだろう」とも思う。「むきだし」の世界は雨に弱い。まあ、雨が降ったら店を畳むだけの話なんでしょうけど。でもトラックで移動中の野菜とかは。集合住宅前に積まれた荷物とかは。ふーむ。

まあ日本だって何処だって、雨に降られると様々な行動が大きく制限される。この21世紀に、空から水が降ってくるなんて異常だぜ。神話じゃあるまいし。今年も梅雨入り。嫌な季節ですねー。

身投散歩 / 妙見山下り

身投散歩とは「片道切符分のお金だけ持って電車に乗り、降りたところから歩いて家に帰る(しか、選択肢がない)」そのような行為、です。

先日4月30日の休日は「妙見山下り」と題しまして電車、ケーブルーカー、リフトを乗り継いで妙見山の山頂付近へ行き、そこから南森町の自宅へ歩いて帰りました(本来は片道切符分だけのお金しか持たないルールですが、途中の食料代他スマートフォンも持つイージー・カジュアル・モードです)。

北から南へ、事前のルート検索によると約35km。フルマラソンにも満たない距離を、走るのでなく歩くのだからきっと余裕でしょう。いつもは平坦な道を45kmくらい、但し今回は山、けれど下り、だから大丈夫、という目論見です。

時折スマートフォンで写真を撮る他は記録はとってないので、その写真を頼りに(無加工の写真多数、ページ重いです)。

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先ずは能勢電鉄の妙見口駅へ。貨物車。背後の建物には「義」一文字が掲げられている。

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駅を出て、観光地っぽいところ。ここに写っている他に古い食堂があって、そういうところでただのうどんが食べたいものです。イノシシが有名らしく、そのような食事やお土産も売っています。普通の旅行なら食べたかった。

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在庫を持たない衣料店。

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妙見口駅からケーブルカーの黒川駅を目指す道中、の廃屋。隣接は火事で焼けていたので、それに伴ってと思われます。

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道中の脇あった小屋。天狗が云々、という工作室か展示室か、で、お面が飾られていて遠目に少しびっくりしました。

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今日の標語。まさしく、帰ろう。

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ケーブルカーの黒川駅に到着。こういうの乗るの久しぶり、というか逆に前回は何処で乗ったのか。待っていると、スジャータの人(めいらく)が例の車(ターャジス号と呼んでいます)に乗ってやってきて、飲料やカップコーンなどの荷物を載せていった。検札のおばさんもそれを手伝いつつ無線で上へ連絡。物流……! と思いました。

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出発。おもしろポイント。単線だけど向こうからも下りカーがやってくる。わーぶつかる……! と思いきや、線路の中心で分岐していてすれ違う。演出か? と思ったけど、単線で2台運用するなら、同時発着で途中交差、しかないですね(……一台で往復を増やせばいい気もするが)。

乗車中、子供が「鹿だ!」と叫んで乗客は窓辺へ。「ああ、ホントだ鹿がいる!」「茶色だからわかりにくいね」と本当にいたようですが、反対側に座っていた一人客の僕は「鹿だー!」と移動する雰囲気を作りにくく見れませんでした。ともあれ、これが一回目の野生動物との遭遇。

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山上駅へ。写真はあまり撮ってないけど、バーベキュー用のスペース他、子供が遊べる公園になっている。で、かわらけ投げ。かわらけ、なるフリスビーを的に向かって投げる遊び。このかわらけにはプラスチックなど自然に還らない有害物質が含まれており観光客が投げた後に野生動物が食べてしまうなど深刻な問題になっている、わけはなく、投げ捨ててもいい素材なのでしょう。今調べたら、観光用の悪ノリ思いつきの遊びでなく伝統的な遊びで、他でもやってるところあるみたい。人気でした。

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山頂(付近)を目指して再び、今度はリフトに乗る。そういうものだろうけれど、小さい椅子にベルト等もなく、ふざけてると本当に落ちる。それほど高さは無いけれど。乗り場では紛失物の話をしている人達がいたので物を落とすこともよくあるみたい。

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乗車時間結構長い。僕の前後に人は無く、向かい合うリフトも無人が続くと、自然の中で浮遊する椅子だけが静かに往復する様子が見れて、何と言うか輪廻の最中にいる感覚。私は死に向かい、同時に誰かが再び生を受ける。

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到着。妙見山の山頂、ではないがその近く。長くなりましたが身投散歩としては、ここがようやく出発地点。先ずは近くの駐車場へ向かう。つまり、車でここまで来れるのであり、リフトはむしろそこから先ほどの遊園へ向かう出発地点、が多いのかしら。

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駐車場から府道四号線へ。あとは殆どひたすらひたすらひたすらこうした道路を行くのみ。

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車に轢かれたと思しき蛇の死体。遠目には一瞬、魚類を連想した。穴子とか。野生、じゃなく野死動物との遭遇。緊張しました。まだ出発地点から近く、余談ですがこの辺で女性用下着が一定距離ごとに落ちていて(いっこいっこ種類も違う)それも怖かった。

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側溝でがさごそと音。見ると(見えにくいですが写真中央)、小さなけだものが行き戻りしている。たれかしら。

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側溝の落ち葉のたまった部分をがさごそがさごそとひっくり返す。最初、身を隠しているだけだと思ったけど、ここは排水溝になっていて、道路下の山林部分へと繋がっていたのでした。

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で、こちらで再びがさごそと動き回っている。最初、大きさからして狸?かと思ったんだけど、一瞬こちらを向いた時、細い目をしていたのでそうではなく……猪とも違うような。ふうむ。

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中腹の集落に。

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石仏が時折。解説の看板もあります。

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集落のそこかしこで、農作業中。

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全方向にマルフクとニチデンの看板。ありがちな風景ですが、この執拗さというか、かつて電話金融が如何に栄えたか、ということでしょうか。

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無人販売小屋。なるほど、盗難を防ぐため、神棚風になっている(路傍の鳥居のように)。なんか、きのこ、みたいなん売ってあって、欲しかったけど荷物になるので断念。

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もくもくランドです。

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そうめん流し、が名物の旅館。

 

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右手小屋に竹の流し台。それらしき、が外からも確認できます。

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こういうの、何て言うんでしょう。水田? 水鏡になっていて綺麗。森や山はフラクタルで描写されるけれど、水面はぴったり平面で、同じ自然だけどその対比が面白い。

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マリアの墓。この辺り切支丹大名が云々というのがあるらしく。

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17時。時報が大音量で鳴る。たまたまこのタイミングでサイレンの近くにいた。消防施設の分署。たかが17時になったことをこんなに大きな音で報せる必要ある? と思ったけれど、ここに至るまで農作業に従事する人達多数、これを切っ掛けに「じゃあ今日は終わりましょうか」となるわけか。晩鐘。

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クマも出るらしい。へー、大阪にもクマがいるんですね。

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遊歩道が出現。道路歩くのは危険なので助かります(峠を攻める系の車が多く。スピード違反ではないと思うけど勢いある)。

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とぼとぼ歩いていてふと見上げると手すりに、猿! 野生動物と再びエンカウント。でも、これ襲ってくるやつじゃなかろうな。撮影も遠くから。この後、そのまますれ違います。

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ご一家、5匹くらいいました。この辺の猿は有名みたいです。

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トンネルへ。トンネル徒歩で行くと怖い。

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トンネル抜けると、ダムでした。写真じゃあれだけど、突然の壮観でびっくり。

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予め調べたGoogle Mapの経路ではこの道を行けという。これまでも、府道・車道から外れた道は幾つかあって、上級者向け、といった感でしたけど、これは厳しい。この時、18時頃で、日没が恐ろしかった。車道にも街灯の類は皆無。どうしようかと逡巡している合間にも、虫が首筋にぽたりと落ちてくる。再び端末を確認し、大回りでなんとかなること確認する。もっと早く来てればねえ。ここはまた何時か挑戦したい。

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駐車場あり、しばらくいくと箕面大滝。迂回故の遭遇。本来、滝を観るポイントはここから遊歩道で下るのだけれど寄り道の気力なく、ここからチラとだけ観光。

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ようやく町が見えた。なんてことない写真だけれどずーっと山道を歩いて来たのでこれでほっとしました。平野にペターっと街が広がる様子は、途中でみた水田を連想させます。

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日没。満月もくっきり大きく。写真だと何ともないけれど、ふだん街から見上げる月と違って、空と地の合間にある感じ。頭上でなく目前に月がある、ように見える。

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ここが山道の入口。山と街の境界線は想像以上にくっきり明確で、道路一本が境界。

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箕面の山中を行く有料道路の入口。距離的にはこれでまだ半分。だけれど、後は箕面、千里中央へと、なんてことない道が続きます。いつもの身投散歩ならこれが全て。

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工事中。北大阪急行を箕面まで伸ばしてるんですってね。そういえばそんな話を聞いたことあるな。なんて地味な。それよか地下鉄大正駅以南を伸ばしておくれ。

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外から見る千里中央。千里中央って、街というより建物が全てという印象があったので、外から眺めるのは新鮮。外があったのか、千里中央に。

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けた下制限1.5M。低い。自転車の人は首をひねりながら。

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淀川を渡って、天神橋筋八丁目。アーケードは一丁目から六丁目ですが、七丁目も「てんひち」として商店街、そして八丁目、淀川のぎりぎりまでは街灯と看板が続く「ふれあいの街」(商店街ではない?)となっています。一連としては最北端、だけど、日本一長い商店街を観光に来てここまで来る人は少ないでしょう。

まとめ

身投散歩がどうというより、わりと普通の、山ならではの楽しさ、と相成りました。

V

差別や偏見又は日常の些事などでも、古くて間違っていて他者だけでなく時に自分自身も傷つけかねない「価値観」について、それと気づかせる比較的穏健な啓蒙として「呪い」という言葉が時に使われるけど、では「祝福」とは何か、とよく考える。

勿論、この状況における「祝福」とは、単純に良い意味だとは限らない。

わかりやすい例として、ジェンダー。ごくごく話を単純化して、今時分「男らしさ、女らしさ」なんてものを求めるのは間違っている。僕は(見た目のおっさん度と反比例して)所謂男らしくないので、他者から「男なのにおかしい」「男なんだからこうしろ」と批判されたり強要されたりすると嫌な気分になったり、いやそれは、と反発する。この時、呪いをかけられているわけだけど、かける側も他者にそう言わねばならぬことで既に嫌な気分に陥っているのであり、また自身も何らかの局面でそれを求められた時は反発できず、自分を追いつめることになるかもしれない。両者ともに害を及ぼす、まさしく呪いであるわけだけど、敢えて呪いという言葉が使われるのは、合理的な因果関係でなく無根拠で古い慣習に準拠しているだけなので、その気になればせーの! でぱっと解くことができる可能性がある、からだろう(勿論、実際には容易ではないけれど)。故に、こうした問題を表現する時に「呪い」という言葉が用いられるのは、そんなもんさっさと解こう、という啓蒙的な意図があるからだと思う。古い価値観を押し付ける奴が加害者、という単純な対立構図を避けている、穏健な啓蒙。

さて、こうした呪いを発動し得る価値観の体系によって、批判や強要だけでなく、逆に賞賛や承認を得る可能性だって勿論ある。呪い、に対する、祝福。例えば(そんなことは今迄に一度も無かったが)僕がした何らかの行動が「男らしい!」などと賞賛されて、それを無批判に嬉しく思う可能性はあるだろう。

これをそのまま受け取って自分の糧にしてしまうと、今度は掛け値無しの呪いを食らう可能性もある。なので、理屈で考えると、この祝福はキャンセルする必要がある。この例なら「いや別に男らしくはないですよ、男らしいからやったわけじゃないですよ、そんなの関係ないですよ」等と言って、相手の賞賛を不意にする。それによって別途の違和が相手方に発生し、まあ折角の祝福が、となるけれど、まあ、そうするべき、だと思われます。ですよね。

こうして話を簡単な例でパッケージ化した場合は、わかりやすいのだけれど、実際のものごとはややこしく、管見の限り、祝福をキャンセルする、といった状況はあまり見受けられない。場合によっては後日、良い話の一つとしてコレクションされたりもする。それ、が呪いの裏返しである祝福だと一瞬で見抜くのは容易ではない(一直線に自分を傷つけてくる呪いですらも、それが呪いだと気付くのは難しい)。また仮に見抜いても、やはり祝福を受け取る誘惑を乗り越えてキャンセルすることは至難とも言えるだろう。

あれは確か、大学二回生の春のことじゃった。

芸術大学、の、アートプロデュースなぞ学ぶ学科の或る授業。必須授業だったので一回生の時から出席者の顔ぶれは概ね変わらないが、見知らぬ韓国人留学生がその授業に出席していた。カンさん(仮名)の年齢は我々二回生たちより幾つか上だが、単位取得の関係上、こうして下級生の授業に混じっていた。カンさんは、優秀そうな雰囲気をばりばりと出しており、実際に何らかの活動の成果を僕はその時既に知っていたのかもしれない、また韓国への興味もあって、学生時分の僕はお近づきになりたいなー、などと内心で思っていた。と言っても、その時は、たまたま席が隣り合った時に一度挨拶したくらい。

その日は、あるプロデューサーをゲスト講師に、現在準備中のイベントに即した実務などを話す授業だった。最後にそのプロデューサーは「このイベントの本番当日、手伝ってくれる学生を募集しています。現場を学ぶ良い機会になると思います。希望される学生は後で連絡先を教えてください」と教室から学生ボランティアを募集した。芸大に限らずよくある話、テイよく労働力を無料で学生から確保する、だけでなく一定の入場料まで獲得する、あれ。とは言え当時、僕も学生。「大学は、学ぶところじゃなく機会を作りにいくところ」という先輩の言葉を思い出しつつ、他の十数名に並び連絡先をその人にあずけた。

それから数日後のこと。僕はカンさんに呼び出された。

「この前、授業できた講師の手伝いの件。私が代表として、みんなの連絡先を集約しています。それで、山本君にも手伝って欲しいのだけれど」

こういうのは、まあ、良い話なんでしょう。しょうもないボランティアでも、これを機会に学生間の連絡係代表として振る舞い、またカンさんとも仕事をともにして、何か次の機会に繋がるかもしれない。しかし何故、僕に声がかかったのか。一度挨拶しただけだけど、あの授業に同世代はいなかったのだから僕が数少ない言葉を交わした一人だったからかもしれない。また当時、騒がしい学生たちの中で僕は前の席で大人しく授業を聞いていたので、真面目だと思われたかもしれない。

「大学は、学ぶところじゃなく機会を作りにいくところ」という言葉が再びよぎりつつ。しかし、僕は、その場でカンさんを怒り、拒否し、そのボランティアからも抜けた。まさか断られると思っていなかったであろうカンさんは呆然としていた。その後、プロデューサーにも直接電話して怒ったりした。

何故か。連絡先はそもそもプロデューサーに直接あずけたので、先ずはそこからの連絡を待っている状態だった。それが知らぬ間に同じ学生のカンさんが代表者として選ばれ、またカンさんによって僕が選ばれ、みんなの連絡先が勝手に流出している。誰かが代表してまとめる必要があるにしても、それを皆の周知と合意を得ぬまま決まるのはおかしい。

そもそも何故、カンさんが最初に代表となったのだろうか……その雰囲気や必然性、は何となくわかるにしても。あの授業に於いては我々と同じ、多くの学生の内の一人でしかなかったはず。たまたま単発で来たゲスト講師が、実際にはどういう経緯で、カンさんを選んだのか?

さて、このイベントですが、顛末を見届けるため僕は一般客として行った。ただ一応正体を隠すためと抗議の意を込め、おかめをつけてほっかむりに白衣という奇装で、客席後方にふんぞりかえる。

動きやすい服装で、と指示があった同期の学生ボランティアたちは、後日聞いたところ、多数の客席用椅子を並べるなど現場ならではの仕事で経験を積み、しかし椅子不足のため本番中は舞台前の空間で集団三角座りをしていた。

ちなみに、イベント自体はなかなか面白かった、です。海外を含む現代音楽家三名が、実演し、レクチャーもする。最後、不思議な糸電話状の創作楽器を演奏するため、アーティストの他にアシスタントが一人、楽器の片方を手に取る。そのアシスタントは、舞台向けの衣装に身を包んだカンさんだった。

アーティストの祝福を受け、会場を代表して楽器を受け取るカンさんは、その祝福のごく一部を、僕にもお裾分けしてくれようとしたのだろう。しかし、僕はそれをキャンセルした。カンさんが得た祝福の正当性は僕にはわからないが、それをそのまま受け取った(承諾無く全員の連絡先を掴んだ)のはやはり間違いだった、と今でも思う。

以上、あってきたるや、という話でした。……なのだけれど。ただ最近、少し心境は変わった。祝福、それもまた良いでしょう。と言うか、それらが適切かどうかを判断していったところで、得られるのはただの「公正さ」でしかない。それも得られることならば万々歳だけれど、現実的には身の回りの瑣末な些事を切り分けていくだけで、つまらない自己満足と諍いしかそこに残らない。それこそが僕にかけられた(自分でかけた)呪いかもしれない。とは言え、変わったのは目端の心境のみで、考え方が変わったわけではない。あの時はそうするしかなかったし、今でも別に後悔はしていない。けれど最近、祝福について考える際、この話を思い出した、ので。

 

三国ヶ丘にて

盆踊りは極めて普遍的な楽しみですが、関西各地の盆踊りをあれこれと踊り較べて楽しむのは、少し特別な楽しみ。特別といっても気張った遠征などでなく、飽くまで隣町へ遊びに行く、ごくささやかなこととして(と自分に言い聞かせ)。これが可能なのは、偶然にも実家という宿泊拠点がにあるという地の利によるところ多し。例えば伊丹は盆踊り盛んですが、そこから同じく盛んな橋本まで行くのは容易ではありません。以前より、堺を一つの元ネタとして、作品に地名を登場させたり、又は阪堺線をテーマにした短編劇を作ったりしてきたけれど(地元への愛着というより、これといった特徴なく普通に寂れた町に親近感あるから)、斯くして最近の盆踊り趣味からもまた一つ、堺に新しい意義を見出すことができました。

そも堺とは、三つの国の「境」に由来し……というのは皆様ご存知の通りですが、本当に恥ずかしながら、サカイサカイとこれまで言うてきた割には、具体的にその境が何処か、あまり気にしてこなかった(これまで興味の中心は、左海に面した大浜界隈だったこともあり)。

ということで、先ずは復習。その三つ国とは摂津、河内、和泉(泉州)。なるほど……どれもざっくり、大阪、ってイメージはありましたが違いがよくわからなかった。今ではもう少しはっきりわかります。何故なら摂津音頭、河内音頭、泉州音頭と、いづれも国名冠した「音頭」があるから。河内音頭が盛んな河内、はそのまんまですが、摂津は大阪府北中部の大半と兵庫県南東部だから「録音頭(ご当地の音頭だけでなくレコードを用いて各地の民踊や歌謡曲を踊る都市型の盆踊り)が盛んな地域」即ち大阪市内から淀川、尼崎、伊丹など、特徴と地域がピタリ当てはまります(尚、摂津音頭と呼ばれる民踊は伊丹市の旧川辺郡に限られます)。

まあ、それは多分にこじつけ。再び三つ国の境、堺が堺たる境の「一カ所」とは何処なのか? ……ああ「三国ヶ丘」という地名がそうだったんですね。三国ヶ丘は昔から聞き慣れた地名で、特別な感じがない。最初は市内有数の進学校の名前として、次は南海高野線と阪和線が接続する微妙な乗り換え駅として(二十年程前、阪和線は三国ヶ丘駅に急行の類は停まらなかった。高野線は今も通らない)。単に、あのへん、としか印象のなかった地名。

地理的にも境界という感じがない。現在の市境である、わかりやすい大和川のような区切りもない。そのかわり「境」の象徴としてあるのが、府道12号線沿いにある方違神社。あー……なるほど……。あの神社、結構有名とだけ聞いたことあるけれど、寺社仏閣玉姫殿の類にあまり興味なく、スルーしていた。まさしくあそこが「堺」だったとは。意外。そして我が家も、まさしく方違神社のすぐ近く(いや、すぐではないけど、まあわりと近く)にあり。

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ということで新年は、生まれて始めて自主的に、初詣をしてきました(正に、初、詣)。秋頃にも行ったのだけど、その時は社が建て替え中でした。方除けの神社ですが、前述のことから勝手に盆踊りの神社と決め込んで、今年も一年、色んな踊りができますよう、また界隈の踊り子たちが無事過ごされますよう、と祈願してきました。

三国の境界故に何処でもない場所が「無」でなく「境」でもなく又「全」でもなく「方違」と表現されるのも、なんか良い。これは「方違え」の風習に由来するからで、この場所自体が何かしら「違う」という否定的な意味ではない、のだけれど。

たがい、は「違い」だけでなく「互い」とも音が通じる。字源も語源も別だろうけど、かみあわない「違い」も、かみあう「互い」も、いづれも重なり合い、干渉し合い、真逆の様相のようでいて、実はよく似ている状態なのかもしれない。ただ、とても不安定である。そわそわとする。すっきりとは収まらない。そんな場所が「方違」と名付けられているなら、そう、と思う。

実際、たがえた「堺の盆踊り」は少し謎めいている。まずそれは堺独自のご当地ものでなく、河内音頭や江州音頭などが流入したもの。他所でも多くはそうだけれど、それがパッケージのままその名で呼ばれるわけでもなく(外部から来たものは、帰って名前が固定されやすいと思うのだけれど)、太鼓の宮入に付随する形で、他の地域に較べて少し変形した足取りで踊られる(金岡神社)。盆踊り巡りに至便な堺、けれど堺そのものは余所に較べてはっきりとした盆踊り文化があるわけじゃない。いや、むしろ夏場は盛んで音頭会も多数あるのだけど、「堺の盆踊り」なるものが一つのパッケージとして余所で披露されたりはしない。不思議なことに、より南の岸和田や貝塚までくれば、今度は泉州音頭として明確な特色となっていく。中心、故の微妙さ。


三国ヶ丘、というイメージをごく私的に流用すれば、私の家族が巡って来た中国、韓国、日本という三つ国にも重なる。これまでは前述の通り、木製洋式燈台が照らす「港」としての堺にそのイメージを委ねて来たけれど「丘」としての堺でも良かったわけか。とはいえそれはやはり、境界線のように明確でなく、横断できるような自由さもなく、また何処でもない場所というほどニュートラルでもなく、方違。その辺りに今現在、私の実家はあり、年老いた両親は、経営する殆ど客の来ない中華料理屋と婦人服屋という隣り合わせるには相性の悪い組み合わせの店舗付住宅の奥で、中国経由で字幕のついた韓国ドラマをネットで観ながら夕飯を食べている。泉州や紀州からの盆踊りの帰り、私もそこに同席する。

ポイントのアウトライン

いつもにまして、しょうもない、俗な話ですけれど。家電屋やら何やら特定のお店で、又は最近はもっと幅広く貯まる「ポイント」に関して、ごくごく当たり前でしょうが、某社の経理もよくわかっていなかったこともあり、そのことなど。とは言え、僕も調べたりしたわけじゃなくて、実際のところはわかりませんが。

以下、例です。仕事で外回り中、会社から電話がかかってきました。「おー、ちょっとプリンターのトナーが切れちまって。帰りに家電屋さんで買って来てくんない?」「はいはい、今丁度帰るところで店も近くですんで」「悪いけど、建て替えてくれる? すぐに精算するから」「はいはい、お金持ってますんで」「領収書忘れないでねー」……ということで、家電屋でトナーを買います。「2,980円です。ポイントカードはお持ちですか?」そういえばつい先日、この店で自分用のタブレットを買ってポイントカードを作ったのでした。「あ、はいはい、あります」「3,000ポイントあるので、全部ポイントで買えますけど?」……ラッキーですね。思わぬポイントで買えて、精算できれば2,980円を現金でまるまる会社からもらえる。勿論れっきとした私自身の財産である、円と同じ価値であるポイントで購入しているのだから、悪いことじゃないはず。「はいどうぞ、ありがとうございました」「あ、領収書貰えますか?」「……? 私はあなたから何か領収しましたか?」

……と言うことですわー。「1ポイント=1円として使えます」「ポイントだけで買えちゃった」なんて表現がありますが、で、実際だいたいそうなんですが、正確に言うと「1ポイント=1円値下げ、してもらえる権利」。1円として使えるのではなく、飽くまで1円値下げ。なので、全額ポイントにあてはめたら、ポイントで購入、ではなく、それはプレゼント、というわけです、日頃のご愛顧を感謝して。自由に選択できる景品みたいなものですね。

前述の例では全額ポイントにあてこみましたが、例えば1,000ポイントだけ使ったとすると、1,000円値引きして1,980円でのお買い物ということになり、1,980円分の領収書を切ってくれます。こちらも損しちゃうので、こういう時は現金を払いましょう。と言うか、飽くまで会社が購入するものを一時的に立て替えているだけだから、(会社は金庫の現金で買うから)当然そうですね(それで獲得したポイントは役得としてちゃっかりもらっても問題ない、はず。こち亀で両さんが署内コンペの景品を立て替えてポイントを大量に得ていました)。

個人的なおもしろポイントとして。今度はポイント獲得の方。例えば1万円の商品があって、今キャンペーン中で、これ買うとなんと半額分の5,000ポイントが付与。とってもお得ですね。なので「1万円の商品を、実質5,000円で買えちゃう」わけです。で、買いました。5,000ポイント獲得です。その直後、別の1万円の商品を見つけて欲しくなります。さっき買物したばかりで苦しい。でも今の貴方にはポイントがある! これを使えば「1万円の商品を、実質5,000円で買えちゃう」わけです。今日は実質5,000円分のお得が2回もあって、実質10,000円も得しました!

……と言うことですわー。今やよくあるポイントを利用した「実質おいくら」キャンペーン。まあ、それは実際お得です。けれど、お得なのはどのタイミングか。ポイントを獲得した時か、ポイントを利用した時か。それは後者です。この例だと当日中に獲得して利用するのでどちらも得とは間抜け過ぎますが、日が空くとこれ実際に区分けつきにくいです(ポイントが獲得できるから、利用できるから、とそれぞれ購入動機になりえる)。ポイントは、使うまではあって無きが如し。値下げの権利ですから。さっさと使いましょう。

そりゃそう、な話なんですが、仕事でお話しした某社経理担当は、これが最初理解できなかったみたい。1ポイント=1円だから、ポイントを得た瞬間が円を得たお得な瞬間だと。そしてポイントはお金だから、ポイント分も含めた商品金額合計で領収書を切るべきだと。でも確かに、言われてみるまでは、混同しがちな話ではあるかもしれません。

以上、一体突然何の話だ、ということでありますが、こういう話が何となく好きでして(もう少し深くなると会計とか税務処理の話になるのでそれはよくわかんないのですが)。例えば、1,000円のものを買う時、1,000ポイントあって、それを全部使えばプレゼントなんだけど、999ポイントに留めて、1円で購入すれば、それは「購入」であり、現金か、クレジットカードか、通販の場合は代金引換か、銀行振込か、等々、その1円を巡って色んな支払い手段の選択肢が発生します。たった1ポイント使うか否かで、それが購入かプレゼントか、変わってくる。とかとか何か不思議ですね。

今だッ、弁当を使え!

先日まで大都会此花区に勤務していたが、栄転と相成り現在は孤島大正区の南端に毎日長距離バスで通勤している。社屋は新しく快適だが、昼休み、近隣に飲食店があまり無いため苦労する。なので、会社が利用している弁当配達サービス(給食)を僕も利用することにした。

最初から利用すれば良かったのだけれど、正確には僕はこの会社の職員ではなく常駐出入業者なので仕組みがわからなかった。また、内勤の多くは弁当を持参していたので、この給食を使う人自体が数人しかいない。誰が窓口・担当なのかもよくわからない。

「そこにマルしときゃいいんだよ」

利用者はそう言う。入口通路の横に表が書いた紙が無造作に置かれてある。日付の行と名前の列。要らない日もあるかもしれないので、毎朝、マルをつける。この表を元にして、後日集金がある。でも突然、ここに名前を連ねてマルしても大丈夫かな。

「いいんじゃない?」

と軽く言うけれど、やはりよくわからない。毎朝、誰かがこれを給食会社にファックスしているんだろうか。何時までに? 一応、その人にも断りを入れる必要があるんじゃなかろうか。先方にも。突然増えたら困らないか。……てなことをウダウダと話したり考えたりしてたら、別の人が教えてくれた。

「あれはね、弁当を車に沢山積んでるの。集計してから配達するんじゃなくて。だから大丈夫」

ああ、なーるほど! そっかそっかー。そりゃそっかー。

配達の人は、ここに来て、初めて必要な数量を確認する。もうその時点で弁当を多数抱えている。当然、他にも色々行っているから、日々増減するだろうし、それをいちいち集計しても仕方無い。廃棄前提で充分な数を用意して、それで必要な数を置いていく、と。合理的(廃棄は宿命的に出るけど)。

よく考えればごく当然の話だけれど、想定していた商流・物流が違うと楽しい気分になれるので、それだけのお話でした。


この給食、味はまあ普通だけれど、おかずの種類はとても多い。これで一食、360円だったか。勿論、普通の弁当屋じゃできないし、配達もしてくれない。まさしくセントラルキッチンの為せる技。

だとすれば。僕がこうして給食の常連利用者になることにより、理論上、コストがまた一つ軽減したと思われる。事実、僕が注文する前は「あんまり美味しくないよ」とみんな言っていたけれど、僕が注文し始めてから、そんなに美味しくない、ものにはあたってないもの。質が上がったのではないか。

給食は、一種類だけ。近隣で利用する会社も、きっとこれ。だからとにかく、単純に注文量が増えれば、より品質が上がる、という計算になる。社内で、社間で、利用者である我々が給食の更なる普及を呼びかけることでどんどん美味しくなるのではないか。それって、売り手と買い手が対立して駆引きするのとかでなく、シンプルでいいじゃん。美味しいおかずに当たるたび、何処かで誰かが僕のように、新しく弁当を使い始めたのだと思うことに。

2018年2月27日追記

……と追記するほどの話ではございませんが。弁当は、早くも朝の10時前には配達が完了する。お昼休みは12時から。弁当の箸袋には「13時までにお召し上がりください」とある。御飯のケースとおかずのケースのふたつにわかれていて(あとはインスタントの味噌汁の小袋)、御飯だけ備え付けの保温機に置かれる。なので、弁当といってもおかずは作り置き、すっかり冷えていて、人によっては電子レンジで温める。その際は、事前にふたを開けておかずをチェックする。ソース類や、もずく、などのケースを外す。他にもサラダ類など温めない方がいいやつもあるけれど、これを分類するのは容易ではないため、その辺は諦める。あくまで、冷えているのが標準。

で、思ったんだけど、より美味しくいただくには配達された瞬間に食べる、のが良いのかなと思いました。今だッ、弁当を使え! 2時間ほど、出来立てに近い。配達の人、びっくりしそうだけど。最早朝ごはんだけど。そっか、なので2つ注文すればいいんだ。朝起きたばかりは食欲ないし、会社についてから10時頃に食べて、昼は15時くらいに食べたら(推奨時間ではないが)、夕方残業があっても耐えられそう。裁量弁当制。

と、さっき配達された弁当を見て思いました(配達の様子がわかる場所に席がある)。